本棚をじっくり眺めて本を選び、選んだ本を持って家まで帰ることができるのは、この町では図書館くらいだ。町の本屋は小さく、ショッピングセンター内の一角にある本屋は、さらに小さい(それでも、コミックス以外の新刊もないわけではないけれど、話題の本以外は扱いは小さかったり、なかったりする)ので、例えば仕事の後にふらっと立ち寄るにしても、今日は何を選ぼうか、あの本は入荷されたかと胸が高鳴る事はほとんどない。どうせ、ない。そう思ったら節穴の目玉も濁るのだ。町の本屋なんて取り寄せてもらった本を受け取りに行く場所、でもそれならネットで探した方が早いし便利だ……なんだったら古本で買うのでもいい……とこころねまで濁った考え方をする。まあそのくらいには貧民だから、新刊本なんて贅沢の極み、だからこそ欲しい本が欲しい。
本や物語を読むのは好きだからだし、「物語を読むこと」に言葉以上のものは求めていない。わたしに何か良きものが(或いはまたよくはないものが)もたらされる、なんてことは一切ないことも、もう知っている。もし良きものがもたらされるのだとしたら、読めることそのもの、それ以上の報酬があるだろうか?読み終わった本について、感想をまとめられるくらいの技量がついていればいいのかもしれないけれど、それだって「読む事ができる事」のおまけのおまけのおまけだと思う。
あの人が読むからわたしも読もうというのも、もうずっとしていない。「あの人が読んだ本」からは「あの人」以上に良きものを、わたしでは見出せないだろう。気に入りの書評家はいるので、彼彼女の書評から気になったものを選ぶ。読書のスタイルについて体系だっていないだとか、理解度が低いだとか、そういうものからは離れたい。自分自身にもなんの発展も期待していないし、わたしはこのまま朽ちるだけ。だからただ、死ぬまでの時間を使って、物語を渡り歩いていられたらそれでいい。飛び石みたいに。
ずっと一人で本を読んできたし、本を……物語を読んで自分の思ったことをぽつぽつとネット上に残したりしてきた。誰かが読むことを期待していない、とは言わないけれど誰も読まなくても、わたしが読むから形に残している。わたしはわたしの1番の読者であり、理解者であり、他人だからだ。そうっとしておいてほしい。「ここはわたしの夢なのだから」。
”But I, being poor, have only my dreams;
I have spread my dreams under your feet;
Tread softly because you tread on my dreams.”
――Aedh wishes for the Cloths of Heaven William Butler Yeats
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