「20080831」
ずっと自分が不幸だと思っていたし、仮に幸せになったとしたら、その幸せに胡座をかいてもっと大きな幸せを、最上の幸せをとどんどん高望みをして、足下を見なくなって結局転がり落ちる、わたしはタロットカードの愚者の逆位置になるだろう。今目の前にあること以外の何も考えたくないし最低限するべきこと以外何もしたくない。なにも。ただ窓際に座って西日を見ていたい。
西日が駆り立てるのはノスタルジア。子供だった頃でさえも「全てが懐かしい」と思わせる傾きかけた金色の光は、穏やかな海を金色に染めているだろう。西日はいつもわたしにある感情を抱かせる。その感情には名前をつけ難い。名前のない感情としか言葉にならないししようがないのだ。切ないと言えば確かに切ないけれど、それはもっと暖かみのある切なさで、物悲しいといえば物悲しいのだけれど、柔らかな愛しさを内包した物悲しさで、幽かにもの狂おしい。みぞおちの辺りをきゅっと優しく掴まれた気がする。ずっと昔からこの感情をわたしは知っていたし、これから先もずっと、忘れることはない。西日が差す度に「生きていることさえももう懐かしい」と思うのだ。
わたしは「懐かしい」と金色の光の中で娘を抱く度に思う。この子がまだこの世界に出現する以前のことを、わたしの中でゆるやかに成長していた頃を、重くなったお腹を抱えて日々、この世の終わりのように泣きながら過ごしていた頃を。ほんの二ヵ月前のことが随分遠い過去のようだ。寝顔には過去から繋がっている未来が見える。まだ未確定な未来。未だ来ていない時間。
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