2009年12月17日木曜日

天にまします我らの父よ、願わくば

 まだ受洗するずっと前のこと。週に一度の聖書講座のために河原町教会に通っていた頃、神父様からポケットタイプの聖書を貰ったことがある(当時自分用の聖書は購入したばかりで、薄紙のようなページで指を切ろうと思うなら切れるはずだった)。ぱらぱらと捲っていたときにたまたま目に入ったのが「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネによる福音書 / 8章 32節:新共同訳)だった。当時はまだ洗礼を受けたわけではなかったし、今でこそ受洗したとはいえまだまだで、真理など分かるはずがない。日曜日の礼拝ですらすっ飛ばすことがあるというのに。それでもその言葉を気に入って、手帳に書き付けていた時もあった。 

 多分両親は特に考えずに入れたと思うのだが、きっかけがあるとしたらそれは、幼稚園だ。たまたま入園した幼稚園がカトリック系だったからで、もし佛教系だったならカトリックとは縁遠かったかもしれない。とは言え入園したからには、日に何度か祈りの時間があった。先生に促され、よくわからないままお祈りを暗記し(だからそれにはごく僅かではあったが独特の節回しがついていた)毎日唱えた。対して理解していないままに祈りを捧げることが、いいことか悪いことか今でも判断がつけられない。それでもシスターでもある園長先生からの優しいまなざしも、卒園する前に教会でメダイと祝福を頂いたことも、私のなかではとても大事な思い出だ。

 理由を殆ど覚えていないのだけれど、泣きながらシスターを訪ねたこともあったし、シスターたちの優しさに戸惑い、恥ずかしがり、自分をみすぼらしくいやらしい、卑しい人間だと、自分自身についていつも以上に辟易することも、やっぱりあった。どうして自分はこんなに醜いのだろうと嘆いた日も。そして同じように人気のない聖堂で、私が私でいること、その全てをゆるされたい、と願った日もあった。自分のこころの安定の為ではなく、誰かの為に。そうした行為はただゆるされるためにではなく、「ゆるす」というそのものが大きな「何か」に基づいて行われていて、そこに取り次いでほしいと思っていたからだったのかも知れない。今でも怯えるのは「ほろびへの もんは ひろびろあけっぱなし」というかるたの札の文句。それを思い出す度に、私はいつでもまっ逆さまに堕ちていく。イカロスのようにくるくると旋回しながら、後悔という羽の、重みと脆さに耐えられずに。

 折に触れ思い出す。子どもが玩具にしてしまうのでごくごく時々ロザリオを触り、聖書をさあっと捲りながら、もっと一途にもっと素直でいた頃のこと。真理が何を指すのか、それもぼんやりとしかわからない。ちっとも信仰に篤くなくて、それがまた情けない。けれど、産まれてきた時、たくさんの人に祝福されて愛されて育ったことは、ちゃんと知っている。たくさんゆるされたことも。同じようにこれからは、私が子どもに沢山祝福を伝え、ゆるし、そしてそれ以上に愛することを教えていくと言うことも。そう、当たり前のこと、ありきたりのことですね。けれど私はとても忘れやすく何度も同じ間違いをするので、こうやってたまには文字にしておこうと思ったのです。


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