2022年3月15日火曜日

星の響きのストラテラ

 薬を飲むようになってから、わたしを苛む強い劣等感から半分ほど解放された。ずっと頭の中はうるさかった(世界はうるさく気を散らせるほど眩しく、時に信じられないほど素晴らしく没入させ、最高で最悪だった)。それに、孤独はわたしのいい友だったことに気づいた。一人でいてもびくびくしなくなったから。

 レンタルの延滞をしなくて済むし、片付けようと思いついきながら何もできないままで夜を迎えない。何かを探す時に部屋を丸ごとひっくり返すような大騒ぎをしなくて済むようになった。手からものが消えなくなった。それはものとして手にきちんと握られている。すべき事としなくていい事について頭に整頓用の小箱ができた。誰でも持っているらしいが、わたしの小箱はどうもひと種類しかなかったように思う。完全に区分が出来るようになったわけではないが、それらの困りごとは一応「性格」の範囲内に収まったように思う。

 でも、落ち着いて世界を見渡した時……あれほどうるさく迫ってきていた世界は凪ぎ、積むだけ積んだ高くやかましい理想は音を立てずに静かに崩れた。餌をねだる雛のようだったわたしの欲はそれなりに満たされたのか、囀るのを止めた。煌めきを持っていた何もかもから鮮やかさが薄れた。

 とても寂しいと思う。何もかもが欲しかった頃に時々戻りたくなる。どっちみち何も手にすることはできないけれど、深い憧れを持って目に映る全てのものを見ていたあの頃を懐かしく思う。手放したものは輝かしい、いつだってそれは本当。アリスが次々と摘んだニオイイグサと同じだ。遠くにあるニオイイグサの方が、今摘んだニオイイグサより美しく揺れるのと同じ。決して手に入らないのに、それでも望むことを諦めず追える。そういう心というかまなこというか、感知する部分に薄い雲がかかるような、そういう薬をそれでもわたしは選んだ。その方が生きていくのに楽だから。より視力に合った眼鏡を選ぶように、より運転しやすい車を選ぶように(何故ならここは大人一人に一台車がないと、身動きできない田舎町だからだ)、ストラテラを選んだ。

 星の響きに似た薬を、わたしは毎日限度いっぱい飲む。その度に星の響きは拡散して、柔らかい羽二重の着物のようにわたしを守る。身体から魂だけが飛び出していかないように、粉々に砕け散らないように、もし飛び出しても戻ってこれるように。これは帰り道を見失わないための光る石。

2022年3月6日日曜日

エメラルドの都

 「図書館に何かはある」という期待というか安心感というものは、司書課程をとるまでは全くなかった。「図書館は本を貸してくれるらしい・宿題をするテーブルもあるらしい」程度で、子供の頃はほとんど、母の都合もあったから利用することはできなかったから、まったく何も思っていなかった。

 産後にこの町に出戻った時に、諸々の手続きを終えた後に向かったのは、利用者カードを作るためのカウンターだった。もしかしたら娘を連れて親子で本を借りる日が来るかもしれない(できればそうなってほしい)と思ったから。

 娘がある学年に上がった時、「調べ物学習」が宿題にプラスされるようになった。テーマを決めて模造紙に調べた成果を見やすくわかりやすく書き出すという宿題で、娘の興味というか宿題に使えそうな資料を全く持っていないわたしは、慌てて週末に娘を連れて図書館に駆け込んだのだった。

 とりあえずは辞典で調べてみて、検索機の示した分類番号からあたりをつけて児童向けの棚を探したが、数が多かったり逆に一切ないという事もあり、自力では時間がかかり過ぎる。この調べ物の宿題は順番に回ってくる(しかも複数回)と聞いていたので、平日の昼間を資料探しに使えないわたしは週末を待って、娘を連れてカウンターに相談に行った。この図書館のカウンターでは、司書課程の課題でもお世話になったのだけど、ぼんやりとした、子供の頭の中のテーマをスッと汲み取り、「これとこれとこれはどうでしょう」「これも関連ありますね」と資料を出してくれた司書さんにはずいぶん助けていただいた。

 わたしが「そうなってほしい」と思うほどには、娘は本に興味がない。それはそれでかまわないのだけど、なんでもネットで調べたら出てくると思っているところはちょっと危ういのかもしれないと時々思う。でもわたしも大学に入るまでは図書館のことを建物としてしか認識していなかったから、今は何も言わないでおこうと思っている。

2021年8月10日火曜日

書くこと、書かないこと、或いは煙草の効能について

 今年の五月はある人と別れて十七回目の五月だった。節目のような切りのいい年ではない。でも、もうそろそろやめなくてはならないとずっと思っていた事がわたしにはあった。ある人との思い出をどのような形であれ書くことは、わたしにとっては記憶の補強だとずっと思っていたが、本当はそうではなかったことに、気づいていながら目を背けていたからだ。記憶の補強のつもりで、記憶のオリジナルテープに何度も映像を録画し続け、オリジナルの記憶にノイズを混じらせる行為だった、と今では思う。いや、それには十年前には気づいていたと思う。何故なら古いTwitterのログにそれ──「記憶のオリジナルテープ」や「繰り返しダビングを続けたノイズ混じりの記憶」──について書いていたことがあるからだ。

 ある人の事を書かないと決めるのは、ある人との永遠の別れにこだわり続けていたわたしにとっては、とても難しい事だった。だらだらとウェブ日記で……Twitterで……何かしら彼にまつわるわたしの記憶を書き続けていたからだ。それをもう行わないのは禁煙に等しいほど、それほど「彼の思い出を語ること」に依存していたと思う。わたしは人と深く知り合うことを嫌っていたから、それでも自分の、みっともない意地、プライドの切れ端のような壁を超えてきた人はとても少なかったから、彼との思い出に浸ることがわたしの孤独を癒してくれたからだ。

 喫煙は薬物による依存症であって、何かの手助けなしに達成し続けることは難しい。ふとした時、ほんの一本吸いたい、一本なら大丈夫、だってわたしはいつだって禁煙を始めることができるのだからと心が揺らぎ、一本の煙草に火をつけてゆっくりと煙をふかす。口中にまろやかに広がっていく煙は鼻腔を突き抜けて脳天へ達する。その快感たるや!ニコチンのみが与えることができる快楽。そして一箱全て吸い切ってしまうのだ。そのスピードは本数が進むほど速くなる。煙草はわたしにとっていつも慰めだった。長い夜を一人で過ごすための友でもあった。それは全て錯覚、依存が見せる優しい夢でしかなかったが、それに縋りたくなるほどには、わたしは孤独だった。彼を失った後のわたしにとって彼との思い出は、喫煙を上回るほどに孤独を癒やし、またそれを加速させた。孤独ではない状態がどんなものだったのか、回想に浸りきったわたしにはもう思い出せなかった。

 今読んでいるナタリー・ゴールドバーグの『書ける人になる!』には、「物書きは結局、自分のこだわりについて書くことになるものだ。自分にまとわりついて離れないこと、どうしても忘れられないこと、自分の中にあって解き放たれるのを待っている物語……。(中略)また、大きなこだわりにはパワーがある。文章を書いているうちに、あなたは何度も何度もそこに戻ってくる。」とある。

 でも、そこまでこだわるにはわたしと彼は遠いのだ、きょうだいでもない、幼馴染でもない、ごく短い青春のいっときを過ごしただけの恋人……こだわるには彼とわたしは無縁すぎるのだ。どれだけ彼との思い出に立ち戻ってしまうとしても、もう書けないのだ。わたしが彼との思い出に縋る時、記憶を書こうとする時、それは彼を消費することと同じだからだ。彼の思い出にこだわり続けることが逆にわたしを何も書けなくさせているのかもしれない。書いてはいけないような気がしながら、罪悪感を常に持ちながら、「これ以上は彼を消費していることと変わりがないのだ」と自分を軽蔑しながら書くことに、どんな意味があるのだろう。だったら既にやめた喫煙を再開して、鈍る思考を首の上に乗せて、ただ時を消費している方がずっとましな気がする。だって書くことはもう一度人生のいっときを過ごす事だから、わたしは思い出すことで何度も彼を「うしなう」。これ以上は失い続けたくない。

 手許にライターはある、でも煙草はない。だから今日も彼の事を思い出しながら、思い出という都合のいい快楽物質に浸りながら、時を過ごしている。

2021年8月1日日曜日

柘榴の半片

 一ヵ月前に僕たちは結婚した。簡素ではあるけれど妻の希望通りの小さなチャペルで結婚式を挙げ、盛大ではないけれど僕の希望したアットホームな披露宴を開いた。妻は美しかった。女神のように光り輝いて、女神よりもずっと幸せそうに微笑んだ。
 両親への花束贈呈のとき、義父は僕の肩に手を置いてゆっくりと頷く。僕もそれを見て同じように頷いた。けれど義母は僕を一瞥しただけですぐに視線を愛娘である妻に戻し、泣いてしまった。仕方がないね、と僕は気付かれないほど小さく肩をすくめる。もともと、僕は義母に好かれてはいない。娘を奪った不埒な男は恨まれるものだ、王子様でも乞食でも。例え神だとしても。

 僕はあの母親からは随分嫌われてしまった。四年をかけてゆっくりゆっくりと育った感情は、あの結婚式の日に爆発したことだろう。これまでずっと、一週間と離れたことのなかった娘が、家を出ていくのだ。遠い地へ旅立つのだ。男と、手に手を取って。振り向くこともなく。僕はそれが嬉しくてたまらない。横槍を入れてきたことも、かけられた様々な暴言も、今なら全て忘れられそうな気がする。むしろ感謝出来るかもしれない。

 一生の記念になる結婚式から四年前、小さなガーネットのリングとともに、僕は妻に結婚を前提とした付き合いを申し込んだ。つやつやとした、少女から女性への入り口にいた彼女によく映えるように選んだガーネットは、彼女の前ではくすんでしまうだろう。いや、贈り物用にとりぼんを箱にかけてもらって僕の手に渡された瞬間から、色褪せてしまったのが僕にはわかった。とは言えこういうことには形が必要だ。愛の形、美しさへの賛美の形、永遠の形。それらの容れ物としての何かが。当時僕はそれなりの企業に就職が決まったところで、彼女はまだ二十歳そこそこ。ニザンに言わせれば「一番美しいなんて言わせない」年頃だけれど、やっぱり、美しいのだ。若さという光が身体の内側から溢れ、老いを知らない肌を通して彼女自身が、光の中でもほのかに発光しているようだった。いや、光っていた。どこに居ても、僕は彼女を見つけることが出来るのだから。

 僕が妻を初めて見たのはサークルでだった。ただのんべんだらりと映画の話をしている、ありきたりの大学内サークル。それなりにサークル活動にも慣れ、満喫していた頃だった。そこに、彼女が来たのだ。その時から彼女は光を纏っていた。

 新入生歓迎のコンパで、始まって一時間足らずで妻は(当時はまだ挨拶程度しかしたことはなかったけれど)堂々と「母が心配しますので」と宣ったのだ。同じ新入生の女の子たちが揃って「もう少しいいじゃない、しらけちゃうわよ」と止めてはみても、彼女は首を縦に振るどころか素早く財布を出し、サークル部長に願い出て帰ってしまった。ある時など帰りが遅いことを心配した母親が、大学の門の前で待っていたこともあった。

 それでも彼女はサークル内でひどく浮くことはなかった。本当に忙しいときに、誰かがちくりと「門限」に対して苦言を呈することはあっても、それ以上は言わない。が悪く言われないように会話の中で僕はほんの少し、誘導していた。道しるべを変えて、旅人を迷わせるピクシーの気分だった。僅かな角度の差でその延長線上では大きな開きが出来るように、彼女ではなく彼女の母が「あり得ない」存在なのだという話に変わっていく。そして彼女は心から同情されるのだ。

 やがて周りからゆっくりとゼリーが固まるように、冬が始まる頃に僕たちは付き合い始めた。その頃から僕は彼女に対しても、少しずつ道しるべをずらすことにした。難しいことではない。ほんの少しのほころびが、糸を引っ張るとぱららっとほどけていくようなものだ。やがて彼女の「門限」も少しずつ緩み、彼女が母親とばかり行動する時間も減り始め、逆に僕との時間が増えていった。もういいだろう、と僕が決心したのもその頃のことで、内定をもらったことがアクセルを踏み込むきっかけになったというわけだ。

 初めの年には小さなリングを。
 次の年にはそれに似合う少し大ぶりのネックレスを。
 その次の年には、小さな耳たぶに釣り合うピアスを。
 そして結婚を決める直前には、婚約指輪とは別にもう一つリングを。
 全て、ガーネットで。
 
 ガーネットは柘榴石。柘榴が象徴する物は生命と出産、そしてそれらの副産物としての結婚。僕はガーネットに呪いをこめたのだ。彼女が母親から少しずつ遠く離れていけるように。冥界の王ハデスがペルセポネに、結婚を想起させる柘榴を食べさせて娶ったように。必ずあの母親を捨てて僕の元へ来るように、と。その為にも僕は海外への赴任のある企業を選んだのだ。やっと僕にも海外赴任が決まった。日本を、家を、あの母親を、物理的にも精神的にも置いていくのだ。黄泉の国へ下るような、ひやりとした悦楽。ため息がこぼれそうだ。梶井基次郎の言う「爽快な戦慄」とはこのことかもしれない。

 僕は四年の月日をかけて、四度のガーネットをもって君をペルセポネにしたのだよ。義母にとっての妻は太陽であり揺れる新芽であり澄んだ泉だったのだろうけれど、それは僕にとっても同じこと。僕の世界の中で彼女は太陽になり芽吹いた新芽になり、そして命を湛える泉になるのだから。例えその世界が黄泉の国だとしても。
「汝の唇は紅色のいとすじのごとく、その口は美はし。汝の頬はベールのうしろにありて、柘榴の半片に似たり」
 僕の呟きに君はにこりと首をかしげて笑う。さあその白い手で、僕の手を取っておくれ。いくつでも君に柘榴をあげよう。君は僕のペルセポネなのだ。

2021年6月4日金曜日

不老不死

 本にまつわる仕事がしたいと気がついたのは高校三年の夏あたりだった。人より遅れて受験を目指して、司書資格の取れる大学に通い課程をおさめ、これでわたしも……!と思ったことはよく覚えている。でも募集がなかった。例えば太いケーブルを縫い針に通す以上になかった。派遣ならあったが、派遣では嫌だった。派遣やアルバイトでは意味がなかった。本屋のアルバイトは受けたが落ちた。その街に留まるために派遣でもアルバイトでもなんでもすればよかったのだろう、きっと。でも人より幼いわたしには、その考えがひとりでに湧くことはなかった。

 自分と自分の学んだことが必要とされていない世界に初めて直面したわたしは絶望し、とにかく憧れより勤まる仕事を探しては就職・離職・派遣登録・派遣・短時間のアルバイトをし、最終的には部屋から出られなくなるまで疲弊した(その頃は酒と精神薬と煙草に浸り切っていた)。

 当時付き合っていた、本性を隠していた男のために上京してしまい、妊娠して結婚したはいいがDV被害に遭い、赤ん坊を連れて離婚し実家に戻ることになる。今の、そしてもうすぐ会社都合で退職する仕事は元々母が勤めていた会社で、紹介されてバイトから始まり、社内派遣になり、今やっと正式な無期限雇用となった(が、それも事務所の閉鎖によって終わる)。

 こう書くと、流されてばかりで考えなしの馬鹿者のように見えることだろう。でもその時その時は振り落とされないように、一人で生活を立て直す為にずっと必死だった。そうは外から見えなくても、頭の中ではずっと「ちゃんとしなくては!人間として親として働かなくては!」と喚かれ続けていた。誰も、何も教えてくれなかった。どのような些細なことであっても自分から学び勝ち取らなくてはならない、そうしないものには権利はないとしか。

 今飲んでいる薬に出会うまでその喚き声が常にわたしの行動を無軌道なものにした。「普通の一般の社会人」ならしなくて済む努力は常に空回りして結果は惨憺たるものだったし、今だってその高すぎる「普通」という基準に到達するためだけに、あらゆる私生活を犠牲にしているしそれはこれからも続くのだと思う。

 わたしは多分長くは生きないと思う。子供の頃からぼんやりとそれは頭の片隅にあった。だからできる限りのことをできる限り時間の余裕をとりながら試していた、どっちみち絶望はするんだろうけれど、完全に希望を打ち砕かれないために。
 
 でも……一人で小さい文庫本サイズの本を出したりする、それもわたし個人のお楽しみのためだけの本というごくごく限られた本でも、作ることができたのはとても嬉しいことでね。本にまつわる仕事(一番は司書だけれど……もう言ってもいいよね、憧れていたことくらいなら)のできないわたしの、精一杯の「本にまつわること」だから、せめて生きているうちにやっておきたかった。いつだって「今日が一番若い日」だから。欲しいと言ってくださった方々にお礼申し上げます。本当にありがとう、ひとときあなたの手許にとどまることができて、わたしはとても、嬉しく思っています。


2021年5月24日月曜日

オールドシネマパラダイス

 町にひとつだけ残った映画館の支配人がローカルニュースに出演していた。元々わたしが子供の頃は別館があったが、それもわたしがまだこの町で学校に通っていた頃になくなってしまった。

 映画を観る機会がひと月に一度以上あったのは京都に住んでいた頃のこと。レディースデイがあることもその頃知った。それまでは年に一度行くか行かないかだった。この町の映画館はわたしの住む家から遠いので自力で行くには不便だし、親に送ってもらう為には完璧な口実が必要だった。

 若い頃はお給料でよく映画を見に行っていたらしいが、母はあまり映画館を好ましく思っていなかった、と知ったのはかなり後になってからだ。母の話しぶりから推察すると、どうやら母自身が映画館で痴漢にあったらしい。そのせいなのか、とにかくわたしが家から離れることを嫌った(が、当時まだ子供だったわたしにそれらを伝えていないので、わたしは不当に制限されているらしいという不満しかなかった)。母は何かにつけて大声で指図するし機嫌が悪ければ八つ当たりする。そういう面倒な「母そのもの」に巻き込まれるくらいならと、口実を捻り出すほどの情熱も封切りされた映画に対して多分持っていなかったし、何か小言とも嫌味とも独り言ともとれるようなことを言われるよりも、最初から観ない選択の方が楽だった。だから少しずつ映画にほんのりと憧れることもなくなり、文字の物語だけに依存していった。

 残っているあの映画館も今ではないけど遠くない未来には……いずれはなくなるんだろう、と思いながら今は時々観に行く。子供の頃、年に一度だけ観せてもらえたアニメ映画を観に行った時にはぎゅうぎゅうだったロビーも観客席も、夜に観に行く時にはまばら。皆揃ってスマートフォンの画面を覗き込みながら入場を待ち、出てくる時も少し俯いている。

 売店は小さいままだし、他には飲料の自動販売機くらいしかない。什器も昔のままのように見える。あかりの灯る小さなポップコーンメーカーも、子供の頃食べてみたいと憧れた時からずっと変わらないように思えてくる。一人だけ鏡の国に入り込んだか、時の狭間に飛び込んだみたい。作り置きだから油が回り始めているポップコーンもそんなに美味しくはないけど、子供の頃食べてみたかったわたしを満足させるためだけに買って映画を眺めながら食べる。そして自分で車を運転して、映画なんて観ていませんという素振りで、家に帰る。

2021年4月25日日曜日

美しい馬・ヤマニンアラバスタのごく個人的な記憶

「私がもっとも好きだったウマはミオソチスである。この馬は夕日に映えた葡萄酒のような毛色の美しい牝馬であった。」と書いたのは寺山修司だ。

わたしにもそんな馬がいる。最もかどうかは、まだ分らない。
馬の名前は芦毛のヤマニンアラバスタという。アラバスタというのは雪花石膏、透けそうで透けない乳色の鉱物で、柔らかく彫刻に向く。寺山を真似するとしたら、「濡れたアスファルトに新しく降った雪のような毛色の、美しい牝馬であった。」なんちって。

美しい馬、と言うだけでは生き残っていけない競馬の世界で、何がそんなに、とも思うけれども、華奢で、うっすらとかいた汗の為に天鵞絨ふうに見える首筋が美しい。始めて京都競馬場で“彼女”見たのは秋華賞だった。ほどよく日は傾いていて、逆行の中で見た“彼女”の鬣は柔らかく輝いていた。

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ヤマニンアラバスタはすでに引退し、一頭限りの牝馬(今は孫娘が現役だそうだ)を残してもう死んでしまった。メラノーマという芦毛の馬におこりがちな病気で、2013年の夏の日に。

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 わたしの短い競馬場通いは、好きだった人が亡くなった後、初めて目的を持って一人で外に出た京都競馬場から始まった。ダービーの日だった。ダービーは府中競馬場で行われるので、その日その場でG1競走を見ることができるわけではなかったが、それでもよかった(競馬場にはターフビジョンがあり、どでかいテレビで中継を見ることができるのだ)。ずっとその人と約束していた場所に、とうとう立つことができたというそれだけで、わたしははっきりと不在を知り、納得したのだった。

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 過去、共に競馬場によく通っていた知人から「『ウマ娘』というソシャゲが最高に面白いからぜひやってみてほしい」というメールが来た。とうとう来たか、ついに知ってしまったのか、と思った。そう言うだろうと思っていたしその通りだった。彼はわたしが擬人化をあまり好きではないこと、キャラクターの元ネタになった牡馬や牝馬に、別の物語が発生すると多分ひどく混乱することを知らない。彼に勧められてやや無理矢理に始めることになったダービースタリオンさえ、目の前の馬を育てることができないことに苛立ち、早々にやめてしまったことも覚えていないだろう。

 キャラクター一覧を見ると、現役時代に華々しく活躍していた名前、懐かしい名前もあったがわたしが好きだったアラバスタはそこにはいなかった。ヤマニンアラバスタはG1を制したことがない。だからきっとこれからもここに彼女の名前が出ることはないし、できればあってほしくないわたしは少しホッとした。心のどこかで、アラバスタはあの芦毛のままの姿でなくてはならないとわたしは思っているのだ。擬人化されキャラクターになって、“自分”が消費することを恐れている。今だって既に、わたしの中で『ヤマニンアラバスタという芦毛の牝馬』として消費し続けているような気がしている。思い出すことで。記憶していることで。

 昔だって、2ちゃんねるに『ヤマニンアラバスタたんが可愛い過ぎる件について』というスレッドが立ち、皆そこでカワイイカワイイと書き込んでいたが、わたしはどうしても書き込めなかった。とてもいやらしい事のように感じてしまって(今となってはスレッドの住民とともに「カワイイカワイイ」と言えば良かった気はする、だって本当に可愛らしかったのだから。でもその時はできなかった)、スレッドを細目で見ていることしかできなかった。それくらいわたしにとって特別美しい馬だった。現実の女たちに対して……あるいは好き「だった」女友達に対して取ってしまう態度と同じくらい……わたしは同性の友達を特別視しまた天使のようにすぐ取り違えてしまうので、いつもうまく距離を取れなかったから……。

 彼女は、わたしの中でややキャラクター化してしまっているのに、ほんもののキャラクターになった途端に、メラノーマでこの世から去ってしまったヤマニンアラバスタを、あのストーリーではない道があったのではないのか、と期待して身勝手に彼女を蘇らせようとするのではないかと恐れている。

 わたしはレースをあまり回顧しなかったし、できなかった(彼女のレースに限らない)。レース映像を見るたびに、現地で(または競馬場のターフビジョンで)観たレースそのものを上書きしてしまうことがわかっていたからだった。観ることができなかった。上書きしてしまうことが怖い。上書きしてしまったら元の記憶そのものが(わたしにとって、であり他人のことはわからない。補強することができるのかもしれない、何度も観ることで。でもわたしはその訓練ができていないし、できそうにない)劣化してしまう。もうわたしの記憶からどんどん離れて、映像としての記録でしか残らなくなってしまうのではないか。他人はそうでなくても、わたしはそうなのだ。なにせわたしは頭が悪いから、留めておくことができない。

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 わたしが今でも一番好きだと思う馬はヤマニンアラバスタという芦毛の牝馬だ。鬣がほんのりクリーム色でロシアンブルーのような芦毛が、年を追うごとに白くなっていく美しい馬だった。細身で紫色のメンコがよく映えた。輸送でガレるからか、あまり関西のレースには来なくて(彼女の所属は美浦、関東の馬だった)、でもそれでも好きだった。週刊Gallopだっただろうか、馬房で上半身だけ起こして何かを見ている彼女の写真が載っていて、それを見て、わたしは彼女が好きだ、と思ったのだ。寺山修司がミオソチスに対して持っていたほどの感情とは言えないが、それでもわたし(あるいはまた、彼女のファンたち)にとっては特別な一頭だったことには変わりはない。

 雪が積もるように白くなっていく芦毛は、記憶の中でより白く、白くなってゆく。

滅びの王国

『すえっこOちゃん』という本を借りた。Oちゃんのほんとうの名前はオフェリアだけど、いつもOちゃんと呼ばれている。スウェーデンのある町に住んでいる七人きょうだいの末っ子で今は五歳。年上のきょうだいがいるのでおませさんだそう。奔放ではちゃめちゃだけれど、OちゃんにはOちゃんの理屈がし...