2021年3月18日木曜日

実家の荒れ庭は、荒れているのが常だった。初めてここに越してきた日のことは記憶にはないが、昔から雑然としていて、荒れていたし今も荒れている。


京都市に革島外科医院という建物がある。茶筒のような円筒形に尖った屋根、瓦は確かエメラルドグリーンで建物には蔦が這わせてある洋風建築。児童文学の登場人物が住んでいそうなおうちで、十八で初めて町の外に出たわたしはそのおうちに心が奪われてしまった。いつか住む家を選べるなら、あんなおうちがいい。そんな風に折に触れ思い出す建物だ。

それとは別に、バブの保育所送迎の度に見かけていた、凌霄花が枝垂れ落ちるおうちがある。花の咲く季節以外は目にとめることもないが、花咲く季節になると必ず目を奪われる(運転中なので横目で見やるだけだが)。蔦を這わせたおうちが手に入らないなら、なにかをたっぷりと繁らせたおうちに住んでみたい──不精者には見果てぬ夢なのだけれど、つい高望みをしてしまう。

母は花が好きだが父はそれに無関心で、強い水流で根元の土をこそぐようにシャワーをかけたり、または鉢になみなみと酒を注ぐようにジョウロで水をかけたりと、めちゃくちゃな水やりをする。あまり育たないうちに、または花を咲かせていてもすぐに腐れてしまう。だから土だけ残って放置されている鉢が、いくつか並んでいた(父は本当に無関心なので、土だけになってしまっていても鉢が残っていさえすればまだ水をやる)。

庭と呼ぶにしてもしっかりと土が盛られているわけではない。コンクリート敷きの敷地に土をかぶせた程度のもの。かぶせた土の上には玉砂利が敷かれていて、一応は侵入者対策になっているようだが、昭和の庭っぽくてわたしはずっと好きではなかった。この家に出戻った時、どうせここに住むことになるなら、と砂利敷きだった庭の一部から砂利をどけ、レンガで囲って園芸用の土を盛った一角を作った。憧れだった木香薔薇を植えたらよく繁り小さな花をつけるようになった。木香薔薇にはよく蟻や蜂がたかりはするが、根気よく手入れをしなくても枯れてしまうことはない。気候が良くなると前の年より一回り大きく繁る。花は好きでも不精な母がたまりかねて枝を払ってしまうが、わたしはそのまま伸ばせばいいじゃないと常に思っている。緑に埋もれてしまう家──わたしはそれが憧れだった。

荒れ庭に小さい緑の一角を作ったのち、どうせなら木も植えよう、できれば大きく育つものがいいと思っていた矢先、バブが保育所でどんぐりを拾ってきた。保育所は山裾にあり、少し歩けばいくらでもどんぐりが拾えた。折り紙で作ってもらった小さいカップに入れて、持ち帰ってきた中に数粒きれいなものがあったので、まずはプランターに植えて芽吹かせた。選別した内の一つがしっかりと芽を出し根付いたので、荒れ庭に植え替えた。どっちみち、百年経つ前に誰もいなくなってしまうのだから……あとは緑に覆い尽くされてしまえばいい。この木からどんぐりが拾えるようになっても、拾ったどんぐりが芽吹いたことを思い出す人は誰もいない。そう思うと気分が良かった。

理想の庭にはわたしが生きているうちにはならないだろう。家は三度建てなければ理想の家にならないと言うけれど、庭もまた同じ。全てを抜いて土を入れ替えて、綿密な計画のつもりで植え直したとしても、アリスがボートから身を乗り出して次々に摘んだニオイイグサと同じで、憧れた庭には届くことは多分ない。いずれ父母もここを離れることになるだろうし、バブも出ていくだろう。もしかしたらわたしが出ていくのかもしれない。誰も思い出すことのない、誰も目を止めることがない庭から。その時はこの荒れ庭はどれほど荒れていることだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿

滅びの王国

『すえっこOちゃん』という本を借りた。Oちゃんのほんとうの名前はオフェリアだけど、いつもOちゃんと呼ばれている。スウェーデンのある町に住んでいる七人きょうだいの末っ子で今は五歳。年上のきょうだいがいるのでおませさんだそう。奔放ではちゃめちゃだけれど、OちゃんにはOちゃんの理屈がし...