先のとんがった、青緑色のストラップシューズを、京都にいた頃よく履いていた。重かったので革で出来た靴だったのではないか。
革に型押しがしてあって、それが模様のように角度を変えればまたイカした靴に見えたのだ。それになにより、孔雀の頭ような青緑色の美しかったこと。ターコイズブルーや鮮やかなグリーンが好きなのに、顔に近ければ近いほど、わたしの肌の浅黒さを際立たせる。でも靴なら顔からだいぶ離れた場所だから、その点安心できた。考えれば考えるほど、わたし向きの靴のように思えた。もうそうなったら、わたしをとどめるものは何も無くなってしまう。ほんの少し大きいけれど、店員は中敷を入れれば問題ないと言う。その時の収入には見合わないくらいの値段のもの──でも、そうしたらわたしはいつも裸足でいなければならなかったことになる──で、ままよ、と買った靴だった。
その靴を履いて、わたしはどこへでも歩いて行った。ジーンズでもワンピースでもお構いなしに、その青緑の、孔雀に似た色の靴を履いて歩いた。重い靴だったので帰宅すると(あまり体力がなかったくせに出かける時は歩き回ってしまうのだが)、脚はもうこれ以上歩かないと決めてしまったかのように、重くだるく、湯に浸かって揉むでもしないと、次の日になる前に筋肉痛が始まるのだった。
今でもまだ、その時の靴のことを思い出す事がある。あんな風に一目惚れして買った靴は、あれ以来ほとんどない。手入れはあまりしなかった。うっすら禿げていくのも、やっと馴染んだようで気分がいい感じがしたし、その靴が履けなくなるなんて考えもしなかったから。引っ越しをいくつかした時に、その靴も捨ててしまったようだし、その後もあれこれと靴は選んできたけれど、靴と言うと思い出すのは決まってあの靴だ。あの孔雀色の──先がとんがっていて、とにかく重くて足にも合っていなかった靴。どこにでも行けるつもりで、どこにも行けない頃に履いていた靴。
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