2021年3月20日土曜日

日記

京都で最後に住んだ部屋は七条大宮の二階建てのアパートで、狭くはないが光の入らない、一日中薄暗い部屋だった。その部屋には小窓もあったが開くとすぐ壁があったので、布をかけこそしなかったがほぼ開け閉めしたことはない。窓の前にはちゃちいデスクセットを置き、シェル型のMacBook(のちに買い換えたが)を置いて、ウェブ日記や物語の真似事をした作文を書いていた。

そこに越す前に勤めていた会社は、割とめちゃくちゃだったように思う。勤務時間という概念そのものが存在していなかったし、何よりイベントの準備が全てお得意様の気分次第の都合によるので、わたしは風船のように弾けて、仕事に行けなくなった。勤めている時に住んでいた部屋は会社からほど近かったので、なんでもいいから離れたくて、有り金を掻き集めて引っ越すことを決めた。会社を辞めた後遺症からか、引越しの疲れからなのか、元々社会にあまり適応していなかったためなのか、引っ越しを終えてからずっとベッドに寝そべっていた。

その頃はまだ自分の特性を知らなかったので、今のように適した薬を飲んでおらず、心身のその時強く出る症状に合わせて変わっていく薬を飲んでいた。処方されたどの薬を飲んでも泥をひっかぶったように身体が重く、ほとんど這うように寝起きしていた。食事は一日に一度、近くのコンビニに、飲み物はリキュールを炭酸飲料で割ったものばかり。薬や酒で身体は常にレースのカーテンに包まれているような曖昧な感覚だったし、頭の中は砂嵐の中にでもいるような、逃げなければいけないのにどこにも行けない、そんな状態だった。新たに働きにも出るために体調を整えることもできず、部屋にいて呼吸をしているだけなのにわたしは常に疲れていた。

小さなタンジェリンのMacBookはそんな部屋で、わたしのほんものの窓代わりだった。開くときは大抵、起きて座っていることができた。それ以外はずっとベッドで伏して本を読んでいた。頭の中は整頓されず常にフルで回転し、回転に追いつかないわたしの身体は、ねじが飛びばねが摩耗しているのにそれでも動きを止めることができない、例えるなら廃工場で動き続ける機械めいたものだった。薬を飲まずにいさえすれば、常に目を覚ましていられた、それが予後にとって良かったのか悪かったのかはわからないけれど。


ウェブ日記のエディタはいつも、カウンセラーや医者に話そびれ、次こそ話さなくてはと思いながらも組み立てられた言葉になる以前に霧散していく、掴み所のない言葉を受け止めてくれるベッドだった。ノートにメモ書きする前に手が追いつかなくなりやめてしまう言葉でも、エディタに向かえばいくらでも書き出すことができた。頓服薬でいっとき眠ってしまうよりも、吐き出し続ける場所があった方がずっと身体も楽になる気がしていたから、のそ、と起き出しては「窓」に向かって誰かのアップロードしたウェブ日記を何時間も読み続け、読み終わったら自分のためのウェブ日記を、飽くことなく書き続けた。

キーに指を乗せれば、なんだって打てた。今日あったこと、なかったこと、明日あること、きっと起こらないこと……ウェブ日記を書くことはわたしには頓服薬よりほどよい鎮静作用があったし、同時に少量のアルコールのように興奮作用もあった。

他人の日記にも夢中になったし、自分の日記にも夢中だった。体裁を整えるため、cssの本を買ってきてはエディタに打ち込み、確認しながら幾度も改装してはまた、フリーのソースなどを探した。時間はいくらでもそのMacBookに捧げることができた。そうして何年も日記を書き続け、読み続けた。合間に本も読みながら、他人の日記と自分の日記から離れることができなかった。自分の書いたものは自分の肌の匂いがついている、よく馴染んだ部屋着のようなものだから、自分が書いた日記を何度も何度も読んだ。アクセスすれば必ず日記はそこにあるのに、ぽつ……と消えていることをどこかで不安に思っていたのだろう。

わたしは多分手で日記を書くよりも、キーボードで日記を書く方が素直になれた。書き直しながら、カットしペーストし直して自分の文章を配置するのは、雑誌の切り抜きを貼り付けながらつくるコラージュめいていたから、一層夢中になれたのだと思う。子供を産んで、決まった場所に働きに出るようになってから、場所をウェブ日記ではなくツイッターへと変えていったけれど、呟くことはいつも自分のこと、自分の身の回りのこと、リアルタイムな日記だった。時折はアカウントを消してしまったけれど、それは新しいノート(ツイッターは言うなればふせんだと思う)が必要だったからだ。新しいノートには新しい物語が(それが日記であれ)必要だからだ。

今もわたしは十五年以上変わらずウェブで日記を書いている。このウェブサービスがいつまで続くかは知らないし、新しいノートが欲しくなるかもしれないが、変わらず真っ白なエディタに向かって、キーを打ち続けるのだと思う。

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