2017年3月8日水曜日

ひつじ

 今日も、子どもを抱いた。始まりから比べてみると、毎日驚くほどの大きさだ。手足は随分長く伸びたし、白目はまだうすあおいにしろ、身体からは甘い赤ん坊の匂いが全くしない、ふつうサイズの子どもを抱いた。ぷんとむくれていたからだ。膝の上に乗せて腕で背中を支える、赤ん坊を抱く姿勢で抱っこした。子どもはわたしの髪と首筋と胸元の匂いを確かめると、すうっと瞼を閉じる。わたしはその顔に自分の顔を寄せて、落としてしまわないように柔らかく抱きしめる。二度と戻らない日を思い出しながら、いずれ抱けなくなる日を想像する。ゆらゆらと抱いていると、子どもの体温とわたしの体温が混じり合って、気分が良くなった。そのまま子どもが眠ってしまったので、ベッドに入れてわたしはぬるいお茶を飲んでいる。

2017年3月5日日曜日

ゴロワーズを吸ったこと

 まだわたしが京都市に住んでいた頃、煙草を吸わない日はほとんどなかった。ちょうど二つ目の職場に勤めだした頃で、なんとなく吸えるんだろうなとは、吸う前から知っていたようにも思う。滑らかに煙は肺のあたりへ落ち、主に口腔から吐き出せた。秋だったと思う。けれど初めてにどの煙草を選んだかは曖昧で、日本の煙草だったか外国煙草だったか、メンソールだったかそうでないか、今はもうおぼつかない。ただずっと憧れていた煙草はあって、それは是非とも吸ってみたかったから、すんなりと煙を取り込めた事は嬉しくもあった。蝋燭に火が灯る程度の、ささやかさで。 

 わたしが憧れていた煙草というのは、ジタンだった。お洒落なフランス的な何かに強く憧れていた頃だったので、フランスの煙草がいいとずっと思っていたし、住んでいたアパートから大きな通りへ下ると、それを叶えてくれる自動販売機があったからだ。自動販売機には日本の煙草の他に外国煙草や葉巻も、確か置いていたように記憶している。そこにジタンが置いてあった。わたしの煙草を吸うきっかけは本当に些細な、背伸び、憧れからでしかなかった(しかしいずれそれは、長く暗い夜を過ごすための戦友にもなった、それが錯覚だったとして、どうして当時のわたしを責めることができるだろう)。
 ジタンは、煙の中で踊り子が扇を振っているイラストで、ブルーのパッケージ。このブルーはサファイアのような深みのある青だったように思う。箱は確かスライド式で、煙草そのものもフィルターも短く、咥えると少し太く感じた。煙草が巻かれている紙は少し粗悪さを感じさせる薄さで、味についてはとにかくからい。薄いインスタントコーヒーを飲みながら、買った分はどうにか吸った。

 例の自動販売機で適当に毎日の煙草を選ぶようになってから、少し経ち、いつも繁華街で気になっていた煙草の専門店へ赴いた。店内に入るのにはまだためらいがあったので、店外の自動販売機でゴロワーズ・レジェールとブリュンヌを見つける。ゴロワーズがフランスの煙草だということは、その時にはもう知っていたので、迷わず買った。ブリュンヌは両切りで、レジェールはチャコールフィルター付き、他にアメリカブレンドされたボックスパックももう売っていたのではなかったか。
 ゴロワーズは水色のパッケージに、銀色でロゴと、羽が付いているとんがり兜のイラストが描かれている。よくある煙草の長さ、太さではあったが、巻いてある紙はジタンよりさらに薄かった。ぺらぺらどころかふにゃふにゃで、日本の煙草はぎゅっと巻いてあってはつはつしているのだけれど、煙草本体がしなびているようにも感じるほど。そして匂いはとにかく臭い。素面ではとても吸えないんじゃないかと思うくらい臭かった。それもそうで、黒煙草という葉を乾燥させてから堆積発酵させたものだったし、その香りこそがゴロワーズの特徴でもあったからだ。

 止めればよいのに苦心して飲み物を色々変えて試したら、コーヒー(薄くてもまあよい、アメリカンくらいでも)とならまあそれなりに、というくらいに感じられるようになる。鼻ほど慣れやすい器官もそうないのではなかろうか。だんだんそのムッとする匂いが、なくてはならない香り(ただの習慣、ニコチンへの依存だったとしても)に変わり、いつしか煙草はそれでなくてはね、と味がわかってる風に思うようになった。最高だった、コーヒーの香りとゴロワーズに火をつけた瞬間、ちりっと紙とともに葉が燃えて、甘やかな香りが広がる時が。あの俳優も吸ったのかもしれない、憂鬱そうに眉間にしわを寄せて小雨の降る街のカフェで。できればその火はマッチがよい、箱入りではなくブックマッチのような、粗雑な、すぐに無くしてしまうくらいのかろやかさのちゃちな。煙草が燃え尽きるまではそんなに長い時間ではない。その間にできることなどほとんどない、一杯のコーヒーを飲み干すことも。でも、恋に落ちるくらいなら出来るんだと、まだ盲目的に思っていた頃、わたしはゴロワーズを吸っていた。わたしが暗く長い夜を過ごした時も、ゴロワーズは側にあった。それがただの習慣だったとしても、みっともない依存だったとしても、その火を温かなものだとほっとしながら朝を迎えたわたしを、支えてくれたことに違いはない。

2013年3月11日月曜日

灯台守

 三月、生温く艶かしい風が頬を撫で上げるように吹く。蛇口から迸る水は温んだ。山から漂うのは生臭い生の匂いばかりだ、視界は安っぽくがさがさと音を立てる裏地に似た薄物で覆われてしまい、享楽に耽っている最中の部屋を覗き見しているようで居心地が悪い。居心地の悪さの為なのか俯いてばかり居る。北風は行ってしまっただろう、清潔で埃っぽく決然とした雪はもう降らないのだ、しばらくは。また溶け残ってしまったのだ。

 明るい春の日と白い花曇の日々、消えた晩春。同じ名前の月を、広がる楕円軌道の年の中で繰り返しながら、結局はある年の春へ焦点を合わせている。残ってしまったのだ、と思うようになったのはあの十年前のことだろうか、それとももっと昔、或いは最近のことか。反物をするすると広げるように、生きていけば生きていくほど続く時間の中に差した待ち針は、どれがどれなのか誰が(私が?)何の為に差したのか曖昧になっていき、今はどこにいるのやら。

 雪の道を風を切って歩いていたのに、同じ距離を歩くのにも数度立ち止まる。幾つかがずれている、例えば歩調、例えば歩幅、例えば歩数。身体の中心にある(ある、と思われる)芯のような核のような、冷たく確固としたものが蕩け出していく。その程度の軟弱さでありながら、決して決壊しない身体という枠の内側で、たぷんたぷんと揺らしながら生きる。空っぽなはずの身体なのになんと重いこと。右に左に、脚を踏み出す度に揺れて船酔い、やはり私は船乗りではなく、愛を持たない灯台守で居たらよい。朽ちるまで佇んでいたらよいのだ。光も闇もなく、ただ立っていればいい。死ぬまでこの町を出ないと分ったのだから。

2013年1月2日水曜日

Regard du hiver まなざし

 私は私を繰り返しコピーしてきた、別れの度に粗くなり、ノイズにまみれながら、でも常に一つの別れを繰り返していた。繰り返している。繰り返していくだろう。たった一つの別れの言葉を誰にも言えないまま、崩れ落ちるまで繰り返す。「            」。今では別れの言葉も長く乱れて余分な情報が鎖のようについて垂れ、未来の私が確実にそれを読み取る事が出来るかはわからない、まだ今は未来ではないから。“今、今、今!”という風が吹きすさぶ嵐が丘で、私は嵐に見つめられている。

 嵐の中で聞こえるのは北風の歌……「私は貴方!貴方が私!」古びたベランダから手を伸ばして北風を——ひらめく薄物のような——掴もうとするのだが、金の輪を幾つも嵌めた私の指にも首にも、絡む事なく私を閉じこめる。ああ、私が私と約束する為の金の輪は、私の指に、首筋に、這って絡み付くように増えてしまった。こんなにも愛おしい世界との、永遠の婚姻の為にと選び続けた金の輪は、私を地に留めている、それが、孤独という事だ。

 私はいつもおまえの頬に口づけをする。返礼におまえは私の頬に口づけをする。

 すっかり、私は繰り返し書き続けてきたただ一つの別れの物語の、書き方を忘れてしまった。執念深く骸に取りすがり、肉が崩れ去った後の骨を腕に抱き続けていたというのに。その骨も既に砂になってしまった。うてなには砂は留まらない。

 指先からこぼれ落ちるのはもう、文字ではなくなってしまった。涙も涸れて血も濁り、滴り落ちるのは時だけだ……。別れの言葉は私から、それは風の音に紛れて誰にも聞こえないだろう。

2012年7月28日土曜日

のうぜんかずら、

 しだれ落ちる凌霄花の家が、保育所のすぐ近くに一軒、工場と実家の間に一軒ある。夏は、ヴェールと言うよりはケープに近い濃い緑に覆われた家をちらと横目で、目視して通り過ぎる。ああ、と思う。ああ、遠いいつかに、外側ではなく内側からあのこぼれ落ちる……刺繍のように鮮やかな花を見たはずだと、思う。 本当は見た事など一度もないというのに、畳敷きの部屋の内側、腰の高さの窓から、胸から上だけを覗かせて見たことがあるように、思う。

 いったい古い家屋と濃い緑との、危うく怪しい抱擁がこちらに沸き立たせるあの、ノスタルジアともレミニセンスとも区別し難い……それは蜃気楼に似ている気がする……淡い感情を抱かせるのはなぜか。私が学生だった頃、ある街のある細い通りで、古いのに古くない石造りの病院があって、その壁には蔦がつるつると登り詰めているのを見た。あれを見たのも夏だった、夏の夕暮れ、ふくらはぎにアスファルトが吸った熱が這い上がってきた、夕暮れ。あれも私はずっと昔から知っていたはずの建物だった。それが通りを歩いている途中に生えたのだ。

 夏はマボロシが立つ。誰かの、いつかの思い出の為に。

 生という生が発熱し放熱し発酵する。私はその匂いに中る。冬が遠い上方から私の近くへ“降って”、傍にあるものなら、夏は私の近くから私を通って上方へ“上って”遠ざかっていくものだ。

 花が咲くように思い出が……あり得ない思い出が咲く。夏だ、夏だなあ。

2012年6月10日日曜日

真夜中にバッハ

 彼に会った時、私はまだある呉服会社で事務員をしていたので、彼とだけ会う時に限らず人と会うのはいつも、仕事が終わってからだった。事務の仕事と銘打ってあるにも関わらず、基本的な事務の他にほんの少しデザインを弄ったり、展示会で使用する金糸銀糸の織り込まれた帯や絵羽(と呼ばれていたが実際は、試着が出来るようにごく簡単な仮縫いがしてある、仕立てていないが切ってはある反物)、ぎゅっと巻かれた重い反物、小物を出荷したり、何でもする仕事だったし営業兼スタイリストたちが社に戻るのは定時を過ぎてからだったので、結局定時などあるようでない、労働基準法などまったく無視された職場だったから、早くて20時、遅ければ24時をまわってからやっと帰宅を許される。それから人に会うのだった。

 彼は大抵昼間は眠っていた、と思う。そうでなければ絵を描いていた、と思う。或いはつまらなさそうに薬を飲んでいたか。もしそれもしていなかったら煙草を吸っていただろうし、詩を書いていただろうし、時折自分の楽器を触っていただろう。長く続けたバイオリンか、気紛れに始めたベースか、電子ピアノか。薄い楽譜は沢山あったが、大抵はバイオリンの教本だったように、今では思われる。彼はまるで野良猫のようだった。大きくて澄んだ瞳をしていて、髪の毛はふわふわと逆立っていた。ガリガリに痩せていて、時折たっぷり食べる。違うのは、腕の太い傷跡は喧嘩でついたものではなかったところだろうか。

「いる?おいでよ」とメールが携帯電話に入れば、私は飼いならされた犬のように駆けた。時には私も背中に、初心者用のバイオリンのセットを背負って、走っていった。夜の四条通りは薄明るく観光客は皆、ホテルで次の日のルートを確認しているような時間に、外を出歩いているのは、遊び慣れていない学生たちか、金はあっても遊び飽きた若い男女たちばかりだった。彼等がフラフラ歩くのを横目に見ながらバイオリンケースをごとごと揺らして、アパートまで出向いた。

 特に何をするわけでもなかった。彼の持っている漫画を読んだり、風呂に入ったり、身体に絵を描いてもらったり、二人とも気侭に夜を過した。彼の気が向けばバイオリンを弾いてくれたし、私に少し教えてもくれた。身に付かなかったがエレクトーンを習っていたので、楽譜は読めたし正しい音は分る(が、バイオリンでは正しいAもなかなか出せなかった、それでも続けたかったのは働いている理由が生活の他に必要だったからだ)。すぐに出来るようになるよと教えてくれたのが、バッハのメヌエットト長調BWV.Anh.114だったので狂ったようにそればかり弾いた。弦を押さえた指に正しい音は留まらず、外れて、溢れて流れてしまうけれど。

 やっと捕まえた音でも次の指も必ず正しい音を摘めるわけではない、ごく初心者の私に、彼は根気よくはなかったが、同じバイオリンからまったく違う音が出てくるのが面白くて、何度も強請って弾いてもらう。たどたどしく私は彼の音を追いかけてまた調子っぱずれの音を弓から弦から放出する。それの繰り返しだった。それでもそれがとても楽しかった。ビブラートさえできなかったが、真夜中であること、楽譜を読むこと、バッハであることが。(バッハだって真夜中にはレッスンをしなかっただろう!)

 彼はもう居ないし、私ももうバイオリンを何年も触らないでいる。きっとひどい音がするだろう、音叉での調音もしていないままだ。彼に合わせて夜中をいつも、駆けて、歩いて、明け方に転寝して、それでちょうど良かった。狂い始めた音は、今はもうすっかり狂っていて、そして私はその狂った音に慣れてしまった。それとも、あの頃の音は狂っていたのか、今が正しい音なのか。どちらにしても、もう真夜中にバッハは弾かない。

2012年3月17日土曜日

ハ短調の響き

『稚くて愛を知らず』を読んだ。主人公友紀子の地上から約三センチ浮いて生きている様が、ちっとも自分に似てなど居ないのに近しいものを感じてしまった。友紀子は大正生まれの病院の娘で、父母に限らず病院関係者からも大事に大事に育てられている。それは私とは全く違っていて、私などはごく貧しい家なのに自信過剰に育ってしまって、周りをよく見ないで夢遊病者のごとく生きているのだが、どことはなくよく知っている女性なのだ、友紀子は。

なにより、愛し方を知らないというところだ。私は未だに神様みたいな人を好きになりたかったと思う。私の好きなように愛することが出来る、崇拝してひれ伏してその足に口づけ出来るだけで幸福の絶頂に届いてしまう、神様みたいな人を愛したい。そうすれば私を見ていなくても、哀しくもないしまた勝手に愛し続けていられる。そして私が神様の前に跪く時にほのかに愛されていると感じられればそれでいい。

私の楽園は私の子ども時代の部屋で、また一人暮らしをしていた部屋だった。私以外には誰にも、子どもですら侵されたくない日もある。楽園に植えられた樹に成る果実のままでいなければ、早々腐ってしまうのだと本能で知っている。箱庭のような、或いはスノードームのような空間で、時折木陰を増やしてみたり鳥の群れを羽ばたかせたり、ちらっと見てくれるだけで、いい。私は私の楽園の中で漂っている林檎の香りであれれば、尚、いい。

特定の男と寝る事は自分の身体を成形しなおす事だろうからと開き直って、寝る事もある。実際に変わる余地がある自分の身体(自分の身体の奥にあった核のようなもの)を引き揚げるとでも言うべきか。そういう、“成形しなおす”というのは物語を読んでいる時にも起こり得るのだから、寝る事と読む事は大して変わらない。けれどこれではいつか、破綻する。私だけでなく特定の男も、私の子どもも。そう思いながら暮しているのに悔悛などひとかけらもなく、破綻する日をどうも心待ちにしている。「ああ、やっと駄目になった、やっぱり、駄目になった!」と頬を微かにでも緩ませながら思いたいのだとしたら、周りを巻き込み過ぎだ。長調の中で特に苦手なヘ長調の中にいるような。早く破綻してほしいと思う。イ短調かハ短調くらいの落ちつきの中で。

滅びの王国

『すえっこOちゃん』という本を借りた。Oちゃんのほんとうの名前はオフェリアだけど、いつもOちゃんと呼ばれている。スウェーデンのある町に住んでいる七人きょうだいの末っ子で今は五歳。年上のきょうだいがいるのでおませさんだそう。奔放ではちゃめちゃだけれど、OちゃんにはOちゃんの理屈がし...