2010年8月8日日曜日

7月の読書まとめ

いつか読んだ本の記憶
2010年07月
アイテム数:11
二十歳だった頃
岩瀬 成子
読了日:07月02日

少女外道
皆川 博子
読了日:07月07日

受胎告知
矢川 澄子
読了日:07月10日

ボンベイの不思議なアパート
ロヒントン ミストリー
読了日:07月10日

ジェイン・オースティンの読書会
カレン・ジョイ ファウラー
読了日:07月13日

サフラン・キッチン (新潮クレスト・ブックス)
ヤスミン・クラウザー
読了日:07月15日

サラの鍵 (新潮クレスト・ブックス)
タチアナ・ド ロネ
読了日:07月26日

夜明け前のセレスティーノ (文学の冒険シリーズ)
レイナルド アレナス
読了日:07月27日

乙女の密告
赤染 晶子
読了日:07月27日

授乳 (講談社文庫)
村田 沙耶香
読了日:07月29日

サーカス団長の娘
ヨースタイン ゴルデル
読了日:07月31日

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2010年7月21日水曜日

ここではない、どこか遠くの、

 梅雨が明けてからすっかり夏の夜だ。窓を開けて風を入れているので、エアコンのない部屋でもじゅうぶんに涼しい。しなを作った夜風が吹いていて、マコンドに降った雨のようにずっと続きそうな雨もすっかり止んでいて、十年前から晴れしかなかったような日の夜の風が入ってくる。蛙の声はもう聞こえなくて虫の声がしていて。恨み抜いた地元の、懐かしい夏の夜だ。

 隙あらば「私のほんとうの両親は外国に住んでいて、仕方なく私をいまの父母に託したのだ」「だからいつか私は迎えが来る」「その人は気高く美しい」などと考える、どこにでもいるつまらない子どもだった。自分の凡庸さに嫌気が差したのは、だから随分早かった。特別な何かを妄想することはあったが、特別な何かになれるとは思えなかった。ただただ「ほんとうの私」でいたかった。年をじゅんじゅんに重ねていけば、ちゃんとした大人になるのだと。そうして大人になった時にはきっと外国に住むつもりでいた。横には優しい旦那様がいて、私はハーフの子どもをたくさん産んで、広くはなくても気持ちのよいアパルトマンで。

 とにかく地元は出たかった。出れば世界が変わるともずっと無邪気に思っていた。高校生になってもなりたいのは「大人」であり、「ほんとうの自分」だった。それがずっと小さい頃からの憧れだった。どうして私はここに立っているのだろう、どうして私は別の誰かではなくて私なのだろう、もしかして私はずっと夢を見ているのかもしれない……。なんとか受かった大学に通うようになっても、当り前だが変わらなかった。変わるはずがなかった。環境をどれだけ変えても、阿呆のような情熱で一心に「ほんとうの私」を探しているのでは、変わる事も出来なかった。変わる事が出来なかったら、「ほんとうの私」はいなかったという事になる。

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 このところずっと、生まれた国とは全く違う言語で書かれている物語ばかりを読んでいる。特に英語圏で英語を第二の言語として使っている作家が書く、翻訳の物語ばかりを。気になっているのはインドやイラン系の作家達で好んでそれらを借りたりしながら読んでいる。当り前なのだけれど、彼彼女たちの教育水準は高い。それはこの際どうでもいい。 
 面白い事に、彼彼女らは母国に戻っても、「もう」アメリカ人或いはイギリス人 と見られ、新たに生活している国では「まだ」インド人或いはイラン人というように、どちらに行っても異邦人だということ。どちらの国にいても周りが「もう」「まだ」染まらせてくれないのだ。
 彼彼女らは今いる国でしか、多分もう生きていかないつもりでいると思う。著者達の持つ「二つの国に存在」し、また「二つの国に存在していない」という危うさが気に入っている。特に彼彼女らの心がいつも現在と過去に同時に出現していて、いつもどこかを目指している感じがあるように思うからだ。
 そういう遠い目をしている物語に、私がずっと昔から探しているような「どこでもない場所への憧れ」と合流出来そうな場所があるんじゃないかと思っている。

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 私は今、出たくて仕方がなかった地元に住んでいる。結局、人は一度、生まれ育った場所に戻るのだろうか。そこで暮すにせよ暮さないにせよ、そうやって過去の自分と現在の自分とを同時に存在させて、どちらかを選ぶしかないのだろうか。沐浴した赤子を抱くように許した過去をすべて胸にかき抱き、慈しむしかないのだろうか。

 ここではないどこかはいつまでも探し続けると思う。だからこそ私はどこに行っても、借りた椅子を汚さないように座っているのだろう。座っていいのかよくないのか、周りをじろじろと眺めながら端っこの方にお尻をちょんと乗せるように。そうではなくて、ほんものの、ほんとうの私だけの椅子のような場所を探し続けると思う。許せるほど過去は美しくなく、愛せるほど私はものわかりがよくはない。ずっと昔から憧れ続けた場所に、私の椅子があるのか、私はそれを確かめなければならない。ここではないどこか遠くが、ほんとうに遠くにあるのか、それとも私のすぐ側にあるのかを、私は探し続けるのだ。支流が一本に繋がる場所を。見つかった時に物語は生まれるか、それとも永遠に眠るか。どちらにしても安らぎの場所だ。

2010年7月10日土曜日

お久しぶりね

子どもが昼寝をしている間は、私の自由時間だ。好きな事だけをする。好きではないがしなくてはならない事をする。好き嫌い抜きでするべき事をする。熱を少しずつ放射しながら眠る子どもの傍を離れて、あれこれする。そう言う時は完全に一人で、自分の身が二つに分かれてから味わう事が少なくなった、「かんぺきなひとり」になる。

まだ二歳手前な所為か、起きた時に機嫌がいいということは少ない。大抵、家の中の離れた場所でなにやかやとしている時に呼ばれる。「起きたー!」などというように。

いそいそと私は子どもの傍にすっ飛んでいく。そういう時に子どもの顔をまじまじと見ると、なんだか眠る前とは少し別人のような顔をしている。だから私はいつも、「お久しぶりねえ」と声をかけてしまうのだ。

子どもにとって眠りは、多分起きている世界とは断絶されている。ぽんと眠りの世界に投げ込まれ、そしてまたぽんと起きている世界に投げ込まれるように。うっとりとけれど乱暴な振り落とされ方で眠る。寝かしつけていると自身の限界まで目を開け続け、それからまぶたを可能な限り制御しようとしているけれども、いつも呆気なく、眠っていく。

起きた時にかのじょの世界はいつも一変している。見覚えのあるいつもの部屋、馴染みのある絵本、ちらかしたままのままごと道具。けれど同じ部屋の中で時間だけが確実に動き、部屋の中を攫っていくのだ。その度にかのじょはいちいち律儀に驚いているようにも見える。

そんなわけで私は「お久しぶりね」とかのじょを迎えるのだ。たった一人で眠りの国へ行ってたのね。お帰り、と。やがてその寝起きの「お久しぶりね」は学校からの帰宅を迎える時のことばになるかもしれないが、それまでは、母親ぶって寝起きを迎えようと思う。

6月の読書メーターまとめ

 2010年6月の読書メーター
読んだ本の数:9冊
読んだページ数:2126ページ

■おんな作家読本 明治生まれ篇
明治生まれの「おんな」の作家を取り上げた、うわさ話みたいに密やかに、慎ましやかな一冊。写真が少ないのが惜しい。かのじょ達の「お気に入り」や「遺品」などの写真もあり、そのそれぞれが大変にかあいらしい。一人の少女であり女であり、作家だったかのじょ達の日常を覗き見しているようで、楽しい。いつも本棚に置いて、「次は誰を読もう」と期待に胸を膨らませるためのチュウインガムになりそうだ。続刊も期待。
読了日:06月26日 著者:市川 慎子
おんな作家読本 明治生まれ篇


■柘榴のスープ
遠くアイルランドの地で「バビロン・カフェ」を始めたイラン人の三姉妹。混じり合う野菜や肉、ハーブの香りを想像しながら読んだ。時折無機物を擬人化させているところなどの表現が存外心地いい。耳をすませばとろとろと鍋の下でゆれる火の音やサモワールから注がれる湯が上げる蒸気の音まで聞こえてきそうだ。アイルランドの小さな田舎町ではさぞかしエキゾチックに映ったであろう三人が次第に食べ物を介しながら人々に迎え入れられる所はとても好き。イランでの三姉妹にまつわる過去は忌まわしいものもあったが清々しい物語だった。
読了日:06月21日 著者:マーシャ メヘラーン
柘榴のスープ


■クローディアの秘密・ほんとうはひとつの話 (カニグズバーグ作品集 1)
再(……)読。初めて読んだのは大学生の頃。「クローディアの秘密」もそうだが1960年代に出版されていただなんて、子どもだった人たち(そして子ども時代にそれらに触れた人たち)何と羨ましいことだろう!ミステリー仕掛けがある所もやはり良いし少女の成長譚と読める所も良い。「ほんとうはひとつの話」こちらは短編が四本。どれも子どもが成長しても持ち続ける秘密についての物語だ。
読了日:06月18日 著者:E.L. カニグズバーグ
クローディアの秘密・ほんとうはひとつの話 (カニグズバーグ作品集 1)


■東京島
人間が持つ嫌な部分をオーバーに引き出すのがとにかく上手い桐野夏生。現実の社会の中での物語だと彼女の特有の筆致で閉塞感がつきまとうのだが、逆に舞台が無人島であるせいでより開放的でもあった。なりふり構わず「生」に執着してつかみ取る(無人島で蜥蜴や蛇を捕まえるような)姿は、むき出しの人間のどん欲さが誇張してあるようでコミカルでもあった。
読了日:06月15日 著者:桐野 夏生
東京島

■街の座標
読了日:06月14日 著者:清水 博子
街の座標


■夜と灯りと (新潮クレスト・ブックス)
この乾いた寂寥感はなんなのだろう。そして物語の底辺を流れる虚しさは。ガリガリと身体を削られるようだ。登場人物たちの多くは乱暴で自堕落だけれど、それでもその傍にいつも、小さくても灯りがあってくればいい。自分の姿を見失わないように。
読了日:06月05日 著者:クレメンス マイヤー
夜と灯りと (新潮クレスト・ブックス)

■プレーンソング (中公文庫)
再……読。「特に何か目立った出来事が起こらない日常」が淡々と描かれているところが特別に好きだ。それとちょこちょこと出てくる競馬についても。競馬好きは大きなレースで季節を知る。体内時計のようなもので、それを主人公がちょくちょく目安にしているところなど。まるで流れている川のような、いつから始まっていつ終わっているかも川にとってはどちらでもいいように、穏やかに陽にきらめく水面を見て一日をすごすような物語だと思う。日々は、日々でありそれ以上のものではないのだな。
読了日:06月02日 著者:保坂 和志
プレーンソング (中公文庫)


■薔薇忌 (集英社文庫)
読了日:06月02日 著者:皆川 博子
薔薇忌 (集英社文庫)
薔薇忌の装丁はピンク地に緑色の花の絵なので持っているだけで気分が良い。

▼読書メーター
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2010年6月13日日曜日

淡雪のゼリー



レシピの切り貼りがしてあるノートが見つかったので、土曜日にゼリーを作った。随分ふるいノートの切り貼りなので、どの雑誌からか、どなたのレシピかまでが抜けている。(オリジナルではないことはお断りしておきます……。何かあればメールなどでご連絡ください。)
白桃の缶詰があれば出来るというごくかんたんなものなので、記録をかねてブログに記しておこうと思う。




材料
  • 白桃の缶詰(425g) ……1缶
  • 缶詰のシロップ+水 ……300cc
  • 砂糖 ………………………大さじ2
  • レモン汁 …………………大さじ1
  • ゼラチン …………………5g

  1. 水大さじ2にゼラチンを入れてふやかし、電子レンジ(500w)で30秒加熱して溶かす
  2. 300ccになるように桃の缶詰のシロップに水をくわえて砂糖とレモン汁を加えて混ぜる(A)
  3. 桃の汁気を切り、グラスにひとつずつ入れる(細かく切って入れても)
  4. (A)の3/4量をグラスに等分に分けて冷蔵庫で冷やして固める
  5. (A)の残り1/3両を金属製のボウルに入れ、氷をあてながら泡立て器で泡立てる
  6. ゆるく泡立ったゼリー液を冷蔵庫で固めたゼリーに流し入れ、さらに冷蔵庫で冷やし固める


おしまい。
初めて泡立てたゼリー液に口をつけると子どもは嫌がってしまったけれど、下のふるふるのゼリーの層にスプンが到達すると、見慣れたゼリーだったらしくすっかり食べてしまった。
見ていて気持ちのよいくらいの食欲であった。

追記:
缶詰から出してすぐだと金臭さがあるので、缶から空けたシロップと桃は半日ほど器にうつして冷蔵庫で冷やしておいたり、一度シロップごと鍋で煮立ててから冷ます方が、金臭さは抜けるかもしれない。

2010年6月11日金曜日

鶏頭の赤、橙、黄色

  子どもと散歩しているのは、かつて新興住宅地であり今でもその名残のある近所が多い。昔、私がこの子くらいの頃、この辺りがやっと開けてきて、いくつも竹の子かきのこのように家が建った場所だ。ここから小学校へ徒歩三十分かけて峠を超えて通い、住宅地のすぐ側に建つ中学校へ行くようになり、やがて町中の高校へ通った。町へ出る為には車が無くては生活出来ない場所だ。ここから西にある方の駅へも車で二十分弱、東の方なら三十分弱かかる。そんな不便な所に住んでいる。そうは言ってもちょこちょこと新しい家は建つ。そこに住む人がいる限り家が建ち車が並び、人の声が流れ生活が漂う。立派で大きな家が建ち、幸せそうな洗濯物が揺れている。その辺りを散歩するのだ。

あるお宅の家の前に、ちょこんと鉢植えの鶏頭があった。鶏頭には幾つか種類があるらしく、見かけたのは羽毛ケイトウと言うらしい。尖ったあかい鶏冠は懐かしい暴走族を思わせるのだが、ふわふわとしたそれは是非触りたくなる。けれども子どもの手前触りはしない。「よそのおうちだからね、ここまで」と言って、いつもかのじょを止めているのだ。

私は、一度、鶏頭を貰ったことがある。
鶏頭のあかく燃える花を見て、その日のことを鮮やかに思い出した。あれは私が退院した日、仕事帰りのJと落ち合ったのかわざわざ迎えにきてくれたのか、二人でバスに乗った。行き先はホームセンターで、すっかり日が落ちた京都の外れのホームセンターはまだ煌煌と電気がついていたのだが、とにかくよそよそしく佇まいから既に「買わないのなら帰っておくれやす」という雰囲気だった。

退院したてで体力が激減していて、なんだか半分はどうでも良かったけれど、それでもその残り半分はやっと自由になれた開放感と、久しぶりに友人に会えた楽しさで昂ってはいた。おもむろに彼は「この中からどれか選んで」と鶏頭を指をさす。これかな、とすでに花の多いものを選ぶとてきぱきと苗を手に取り、土を選び、鉢もぱっぱと決めた。緑色をした買い物かごは急に重さを増したようだが、すたすたとレジへ向かう。

再びバスに乗って私が当時住んでいた部屋へ戻ると、新聞紙を広げてそこに先ほど買ってくれた鶏頭を、ビニールの苗パックから出して、鉢に移し替えてくれた。入院していたことにあまり触れずに「結構楽しいですよ」と。

差し出された鉢には小さいけれど鮮やかな鶏頭が並んでいて、つつくとふるっと揺れる。鉢は窓際の、ぎりぎり陽の入らない場所(私は当時洞窟のような薄暗い部屋に住んでいたから、そこしか明るい場所は無かった)に置いて毎朝水をやるようになった。

あの日から随分経って、私は地元に戻ってきたし彼も京都から東京、そして地元にいるという。距離は遠く離れてしまったし、その日のこともだんだんおぼろげになってはいるけれど。私には一人の子どもがいて、毎日を時間に追われるように過ごしているけれど。有り余る時間に取り残されていた自分を、懐かしさと情けなさと恥ずかしさが入り交じって思い出す。あの鶏頭は、やっぱり本物の日光が少な過ぎたためにどんどん色褪せて、やがて枯れてしまったけれど、それでもしばらくはずっとろうそくが灯っているように、明るかった。


記憶という庭に、私はひとつの鶏頭の鉢を持っている。その鉢で鶏頭は赤に、橙に、色とりどりに咲き誇る。いつまでも私が覚えている限り、風にその花を揺らされて咲き続ける。

2010年6月2日水曜日

5月の読書メーターまとめ

 2010年5月の読書メーター
読んだ本の数:12冊
読んだページ数:4097ページ

■思春期病棟の少女たち
いつかは読むだろうと思っていた。もう少女ではなくなったけれど。ぷちぷち途切れる文章は茹で過ぎたスパゲッティのよう。自分が立っている世界との折り合いがつけられなかった、どこにでもいるありふれた少女たちの精神病棟を、作家になった著者が中年になって振り返っている。退院する少女もいるし自ら死の世界へ飛び込む少女も、もっと遠くの心の世界へ行ってしまう少女もそこではありふれた「少女」でいられたのだろう。世界とは離された場所にいたとしても、著者と著者の友人達がいたそこは、眩しい青春の光に照らされたものだったと思いたい。
読了日:05月31日 著者:スザンナ ケイセン
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/6295205

■グアヴァ園は大騒ぎ (新潮クレスト・ブックス)
コミカルな中にかすかな哀しみの漂う、けれどそれは人生或いは世界が回っていく中ではちっとも大した事ではない、と思わせてくれる、ふわふわしたつかみ所のない夢のような一冊だった。主人公サンパトの母クルフィの料理と食事について取り憑かれている様の記述がたまらなく面白い。私はインドについてはこれまで断片的に繋いできたイメージの中の「インド」しか知らないが、土ぼこりの中に浮かぶ色彩を想像するのは楽しかった。自分を取り巻く世界から逃亡したくなったらまた読みたい。
読了日:05月29日 著者:キラン デサイ
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/6266523

■小さきものたちの神
「歴史のにおい。風にのってくる古いバラのような。」所々で思い出すように繰り返されるこの言葉は、語り手であるラヘルとその双子の兄エスタパンの歴史そのもの、過去の匂いだろう。思い出す度に鼻先をかすめる過去の匂い。懐かしさと同時に二度と戻らない過去の思い出。忘れようと努めても決して消えない過去の。子どもだったラヘルの視点から描かれるインドは自然の色彩に、歴史に、綿々と続いてきたカースト制度に、ラヘル自身の無限の想像力に溢れている。詩のような文章の流れは川のようだ。
読了日:05月26日 著者:アルンダティ ロイ
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/6229151

■喪失の響き (ハヤカワepiブック・プラネット)
読了日:05月25日 著者:キラン・デサイ
http://book.akahoshitakuya.com/b/4152089059

■ママ・グランデの葬儀 (集英社文庫 40-A)
読了日:05月22日 著者:ガルシア・マルケス
http://book.akahoshitakuya.com/b/4087600793

■停電の夜に (新潮文庫)
読了日:05月15日 著者:ジュンパ ラヒリ
http://book.akahoshitakuya.com/b/4102142118

■時は夜 (現代のロシア文学)
気持ちが暗澹とする。もう搾りきった生クリームの絞り袋を、しつこくのしてどうにか一粒の白い淡雪を落とそうとするような、必死だけれど後から空しさばかりが襲ってくるような、気持ちの遣りどころがどこにもない。書き手である「私」の娘が送りつけた短い叫び声がずっと続く。貧しいということが蝕んでいくものは愛、健康、未来、希望、何もかもだ。物語の全背景はぼうっと映るだけだが、所々語り手の「私」がズーム・インして叫ぶ。そしてその叫びにスポットライトが当たる。誰も彼もの自分勝手さとそれに苛立つ「私」が殴りつけてくるような物語
読了日:05月13日 著者:ペトルシェフスカヤ
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/6073015

■ミーナの行進 (中公文庫)
小川洋子はいつでも何かを、登場人物たちに失わせる。例えばそれはもののなまえや人という、些細だけれどかけがえのない、途方もない痛みと喪失感を伴うものばかり。それでいて甘い閉塞感が漂うのが「小川洋子節」だと思っていた。特に大きなお屋敷全体がその閉塞さを醸し出す場所になるのか、とも。けれど、病弱でお屋敷に住んでいる従妹・ミーナこそ死の途方も無さをはっきりと身体に纏わせているとはいえ、とても清々した少女だった。それは関西弁の砕けた会話がそう思わせるのかもしれないが、これまでのように喪失の残虐さが無く、むしろ砂のようにさらさらと美しく、「少女」を失わせていったと思う。
読了日:05月11日 著者:小川 洋子
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/6060055

■ジャスミン (文春文庫)
読了日:05月11日 著者:辻原 登
http://book.akahoshitakuya.com/b/4167316102

■海辺でロング・ディスタンス (角川文庫)
川島さんの本はだいたいどれも読んでいるのだが、今回は他のどれよりも流されている感が強い。セックスの後の汗やジョグの後の汗の匂いが薄い気がする。それと登場人物が散逸していて(ネグリジェババアについてもう少しあるのかと思った)まとまりが少なく、読みづらかったのが残念。
読了日:05月06日 著者:川島 誠
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/5994822
■石のハート 新潮クレストブックス
読了日:05月04日 著者:レナーテ・ドレスタイン
http://book.akahoshitakuya.com/b/4105900307

■カッコーの巣の上で
読了日:05月02日 著者:ケン キージー
http://book.akahoshitakuya.com/b/4572008531


▼読書メーター
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滅びの王国

『すえっこOちゃん』という本を借りた。Oちゃんのほんとうの名前はオフェリアだけど、いつもOちゃんと呼ばれている。スウェーデンのある町に住んでいる七人きょうだいの末っ子で今は五歳。年上のきょうだいがいるのでおませさんだそう。奔放ではちゃめちゃだけれど、OちゃんにはOちゃんの理屈がし...