2011年7月25日月曜日

うつくしく、べそっかきで、たびにでる私のこども

 Monday's child is fair of face,
 Tuesday's child is full of grace,
 Wednesday's child is full of woe,
 Thursday's child has far to go,
 Friday's child is loving and giving,
 Saturday's child works hard for a living,
 And the child that is born on the Sabbath day
 Is bonny and blithe, and good and gay.

 うつくしいのは げつようびのこども
 ひんのいいのは かようびのこども
 べそをかくのは すいようびのこども
 たびにでるのは もくようびのこども
 ほれっぽいのは きんようびのこども
 くろうするのは どようびのこども
 かわいく あかるく きだてのいいのは
 おやすみのひに うまれたこども

 私のプスティニア、こどもはげつようびうまれ、その名に恥じないうつくしいこども。保育所に勇敢に通う。この世に生まれて三年目、だから四年前の事はまったく知らない。それはそれで不思議ではある。本人は居なかったのに過去(私という生みの親)が在る、ということ。それは私も同じ事だ。四年前は、私が赤子を抱くなど、考えた事はなかった。

 子どもを産むということを、私は憎悪していた。出産そのものではなく、それに付随する幸せを、憧れるあまりに憎悪していた。縁遠いのだ。誰も私のような女を妻には娶るまい(実際一瞬だけしか娶られなかった)。幸せに縁を切られているのは薄々承知している。生きにくさを誰に伝えてよいかもわからず、またそれを伝える人もいない。お腹の大きな女性を見る度に、微笑ましさと同時に羨ましさでわめきたいくらいに、身体の内側から溢れるごちゃごちゃの感情。乾いているようでいながら、その嫉妬とも憧憬ともとれる私の感情。彼女たちははち切れそうなお腹を抱えて輝かんばかりなのに、私は醜く卑しい感情を孕んでいる。これほど醜い女が子を孕むなど、あり得ない。それは地獄に堕ちた亡者が天国に憧れて身を焦がすほど烏滸がましい。私はそう言い聞かせ、憧れを深く心に押し込めた。誰が、一体誰が、私を大事にしたいと思うのか。自分自身すら大事にしたことがないというのに?

 子どもを愛せるのかということ以前に、自分の身体の中に自分とは別の人間が出来つつある、ということに慣れず、だから胎児がエイリアンであってもおかしくないような気がしていた。私を食い破って出てくればいい、その方がまだ私が私のままの精神の均衡を保てるだろう、とも。

 しかし、こどもは生まれた——いつの間にか人間の形を取るようになり、人間になった。私の祈りでもあるこども。私の幸せはお前の幸せではなく、またお前の幸せはお前だけのもの。さあ、歩いていくのだ、私などに何を言われなくとも、どこまででも。美しく、べそっかきの、旅に出る私のこども。

2011年6月19日日曜日

憧れの嵐が丘

 嵐が丘に憧れ続けている。荒野というところや、嵐が丘に憧れている。いつ頃からだったかは曖昧でよく覚えていない。そもそも、覚えておく必要がなかったのだけれど、私は「孤独とは美しいものだ」 と早くから思っていたし、まだ思っている。孤独というものもひとを癒すのだとも。

 よりどころをうまく見つけられない子どもだった。変化は嫌いだし、馴染むのにも時間のかかるというやりにくさは今でもついて回っているが、あの頃に比べたら少しはましだ。それは現在「大人」「母親」という、子どもからすれば特権階級めいたものになったからだ。

 ぬいぐるみにそれを見いだすひともいるし、スポーツや芸術にそれを求めるひともいるというけれど、私がいちばん手っ取り早く手に入れられるやり方は、想像や妄想しかなかった。片田舎に住んでいて、通学するためには峠をひとつ、超えなければならない。だらだらと長い通学路をやり過ごすには、季節ごとに姿を変える自然だけでは足りない。だから、最終的に自分が閉じこもれる場所として、心の中に荒野を持つことにした。荒野という、その字面、イメージが、これ以上どこにも行けない、「行き止まりの甘い息苦しさ」や「遠くあくがれいずる魂」をよく現しているように思えた。

 そして、エミリの『嵐が丘』に出会う。私にとってその本は、まるで奇跡だった。魂の行方を見ているような、それぐらいの衝撃だった。メロドラマのような怠惰さを感じる暇もない。もはや「愛」ではなく「魂」の物語だった。「魂」というのは人の意志の及ばない部分にある。だからキャスリンは「あたしはヒースクリフです!」と叫べるのだ。堂々と。恐れもせず(そう、神をも!)、彼らは魂で共鳴し合い、また一つの魂を二つのからだで共有し合っていたようなものなのだ。そしてそれ故に、人間としての身体で持て余してしまった魂は「あくがれいずる」。荒野に吹く風そのものになったキャスリンやヒースクリフは、私の心の荒野でも自在に駆け回り、それ故私の荒野はどんどん美しく研ぎ澄まされた。その荒野は「孤独っぽさ」の象徴で、現実世界からの逃避先であり、自分だけの天国であり、また自身の墓でもあった。

 多分私は「孤独っぽさ」がすごく好きで、それはもちろん戻っていける場所があってこその「孤独っぽさ」が好きなのだけれど、それが凝縮されているような場 所が、荒野だった。小高い丘に教会があって、そこから少々離れたところにぽつーんと建っているような洋館(城)が自分の住む家だったら!と、よく想像していた、今も。そこから私を連れ出す人がいる、というのがそのストーリィの続きなのだけれど、当然、私はそれを断って一人静かに荒野にとどまる。そして毎日、同じ風景をくもったガラス越しに眺める。窓の外に広がっている「残酷なまでの変化の無さ」を慰めにして。

 心の中に誰も手出しできない荒野を持ったまま、少女はくたびれた女になった。ライナスの毛布のように、何処にでも私が在る限り、荒野は在り続ける。心配ない、いつでも、最初に荒野が在るし最期には荒野へ戻ることが出来るのだから。
 心の中に荒野があるのは、自分の精神的な健康上、無いよりもある方がよい。温かで安全な、自分専用の荒野。真珠の門でもあり、苔むした私の墓標。そこに生まれそこに死ぬ、何度も。それが出来る場所があると知っているのは、さいわいだ。

2011年5月30日月曜日

ファンタジエン

 七十八年九月の、ある日の夕方。みかん色の夕陽を、手術室に入る前に母は見た、と言った。だから名前は“茜”にしたかったんだけどね、といつも言う。母の出産日、私の誕生日の事は必ずそれが、一セット。その日その時間が、私と母の永遠の決別だった。私たち、ではなく、母と私。私は諸手をあげて世界へ出た。背骨を丸め、脚を腹にぴたりとつけた、死と生とのあわいで知った安心出来る姿勢から、文字通り切って開かれた世界へ。世界から拒まれる事も知らずに。世界を愛する事も知らずに。

 〇八年七月のある朝、私は一人の赤ん坊を産んだ。骨盤をめりめりと広げながら、ゆるやかに降りてくる胎児を押しとどめようとしながら、でも押し出そうとしていた。どうにかして!身体が割れる!それは嫌!分離する、やめて、淋しいから!けれど途端に分娩室の灯りが眩しくなって、目を開けたら、子どもは生まれていた。内側の私を引き摺って出てきた子どもは簡単に身体を拭かれて、それから泣いた。それが私の生んだ子どもとの、決別の日。私たちではなく、私と、娘。

 涙の谷を作った二つの山はいつも、マグマのように祈りと、怒りと、愛おしさと、哀しみを延々と沸き立たせていた。骨の内側の辺り、本当はそこに骨はないのだけれど、その辺りからぐつぐつと沸き、出口を求めて辿り、吹きこぼれる。熱くて痛い。赤ん坊は私と別の匂いがした。決別しているのだから当り前だが。甘く柔らかく、少し酸っぱい。そしてほんの少ししょっぱい。一日一日が、出会いの日で、別れの日。

 全く何の日でもない日に——それを、ハンプティ・ダンプティは誕生しない日と呼んでいたっけ——唐突に思い出す。いや違う、思い出す時はいつも、とうとつ。風の吹く日に思い出した事。あたしたちはえーえんにわかれた。

2011年5月29日日曜日

小鳥

 喉の奥で小鳥を閉じこめているような、そしてその喉で小鳥が飛び立とうともがいているような、そういう息苦しさ。行き苦しさ?生き苦しさ。喋っていても聞こえてくるのは、私の声なのに、私の声ではなく。瓶の内側から聞こえてくるような、くぐもっていて妙に丸みがかっていて、時折それが鋭く聞こえることもある。蓋が外れて瓶の口から漏れ出てきたような。

 どちらが私の声かは知らない。どちらとも私の声だから、私以外の人には、きっと分らない。でも、私の声って一体なんだろう?

 喉の奥の小鳥はいつか飛び立つ?私を置いて行ってしまう?行かないで!私の喉が潰れてしまってもいい、ここに居て、いつまでももがいていて。小鳥の声が、私の声。小鳥を失ったら、私も声を失うだろう。

2011年5月23日月曜日

「マルガリタはラテン語で真珠の事ですよ」と神父さまは仰った。

 私の洗礼名は「コルトナのマルガリタ」で、乙女殉教者の聖マルガリタとは別の女性だ。わざわざそのメジャーな聖人の名前を選ばなかったのは、その頃、私は“幸せな”妊婦になる事はないだろうと思っていたからだ(乙女殉教者マルガリタは妊婦の守護者でもある)。実際幸せな妊婦にはなれなかった。それを悔いているわけではない。私がその時、神様を忘れた事を悔いてはいるが。もう一人のマルガリタは放蕩者、娼婦だった。幼いうちに実母と死に別れ、実家を飛び出るまでは継母に虐げられる。城主の妾として数年過ごし、その間に子どもも産んでいる。城主が殺されると再び実家に戻るが実父からも継母からも酷く拒否された。彼女が最後に助けを求めたのはコルトナの町の修道院で、そこで初めて受け入れられ、神に仕えともに生きる悦びを知る……。

 何処ででも、泥水を舐めても生きていけるんじゃないかと思っていた。実際はでも、何に受け入れられたいのかも知らないまま、日々ふらふらと生きていただけ。高潔なふりをしていただけ。いい加減、何処に行っても「ここじゃない」、「これは間違っている!」と思いたくなかった。「間違っている」というのは、私が決して幸せになれない事ではなくて、私が、「間違っている」と思う事が間違っている、という事。ブラッドベリやカーヴァーのようには辻褄が合っていないという事。

 途切れ途切れに続けていた聖書の勉強に本腰を入れたのは、トウキョウへ上京してからの事だ。練馬区と杉並区と中野区が入り乱れる場所にあったその部屋は、下井草教会が随分近かった。千川通りをひょいと超え、左手側にコンビニエンスストア、右手側に畑を見ながら住宅地を進む。右に曲がると、ミントグリーンの尖塔、白い壁の教会が現れる。何とかなりそうなギリギリの家賃で、仲介業者からたった一軒だけ提示されたそのアパートの傍に、教会があるとは!きっとここが、私の探していた真珠の門だ。他の店を回る事もせずに、ほとんど即決で金を下ろしてその部屋を借りた。引越が落ち着くとすぐに教会へ出向いた。洗礼を、今度こそ受けると決めていた。

 降誕祭が近づくと、毎週水曜日の午後の教理問答もいよいよ終わり、洗礼式の為の代母も決まった。洗礼式の前に、数々の後悔も、希望の為に知った絶望もここで洗う為に、私の、もう一つの名前を決める。私は成人洗礼になるから、自分で選び自分で決めた。それが「マルガリタ」だった。長身で、淡いブルーグレイの瞳をした東欧出身の神父さまは、それを聞いて「とても良い名前を選びました。マルガリタはラテン語で真珠の事ですよ」と仰った。ミルク色に輝く真珠の核は、真珠層を持った貝には異物でしかない。けれど真珠層が幾重にも包み、元の異物ではなく真珠になりますね。そして私たちは真珠の門を通って天国へ行きます。後悔していることがある、哀しみを忘れられない、と初めに私に言ったあなたは、その名前を選びました、と。

2011年5月22日日曜日

基準の鳥

 エミリ・ディキンソンの歌の基準は、こまどり……。
 五月もるうるうと勢いづいている。晴れた日は草木が発する甘ったるい若葉の匂いで、息が詰まるほど。湿度は温度を友にして上昇し、二日後に大抵雨となって落下する。海に落下した彼らはまた大気に紛れ、草木に宿る。終わりのない永遠の運動だ。暑いだの蒸すだのと不平を、言うほどの事でもない、永遠に比べれば何だって瑣末な出来事。

 山も近く海も近い場所にある実家で暮していると、鳥たちが時間の基準になる。夜明け前に時鳥、朝いちばんは、燕。その次に烏と雀。明けきってしまえば、イソヒヨドリ、ヒヨドリ、セグロセキレイ、鳶。川まで出れば、そういえば鷺がいる。漁連の近くだと鴎、鳶。日暮れ前にまた燕と雀、そして夜。

 何を基準に生きていればいいのか、分らなくなった。鳥たちのように基準の歌を持たない私は、一日のうちにめまぐるしく変わる曖昧な基準の中で、息が上がってしまいそうだ。ああ、歌を忘れた金糸雀だったら、海に出て、忘れた歌も取り戻せるものを。

2011年4月10日日曜日

 

 愛しているものは、私が触れられないもの、そして永遠であるもの。それ以外のものは、たぶんたいして愛してはいないはずだ。それは愛していると思い込んでいるだけ、ただの盲信、見栄、執着。手ぶらでいるべきよ。転んだ時にすぐに立ち上がれるように。旅の準備は軽ければ軽いほどいい。もしも帰ってくるつもりなら。

滅びの王国

『すえっこOちゃん』という本を借りた。Oちゃんのほんとうの名前はオフェリアだけど、いつもOちゃんと呼ばれている。スウェーデンのある町に住んでいる七人きょうだいの末っ子で今は五歳。年上のきょうだいがいるのでおませさんだそう。奔放ではちゃめちゃだけれど、OちゃんにはOちゃんの理屈がし...