2021年3月9日火曜日

明け烏コットに並ぶみどりごの泣き声止まぬマリアらの国

たまに夜中遅くまで起きていたり、電気を消し忘れて寝てしまった事に気付いたりすると、産前産後に総合病院の産科に入院していた頃のことを思い出す。こうこうとついた電灯の下で、おかあさんたちが円形に座って赤ん坊にお乳をやっていた、授乳室のこと。

生まれたての赤ん坊だから時間に関係なくふにゃふにゃとお乳を欲しがる。その都度行っていたわけではないけれど、夜中は病室で区切られたカーテンの中にいると世界に取り残された気分がして、それで授乳室まで赤ん坊を寝かしているコットをコロコロ押してそこに行った。

授乳室は大体いつも四、五人の赤ん坊とそのおかあさんたちが集まる。眠りながら乳を吸う赤ん坊のほおをつついて、赤ん坊にとって不慣れな授乳をしている。そこでは誰もがただの生まれたてのおかあさんだった。

誰の顔も晴れやかで、美しかった。産後の興奮などでつやつやと光っていた。初子でぎこちない手つき、既にきょうだいがいて、思い出しながらの手慣れた手つき。でもそれは全て母の手つきにわたしには映った。溢れてくる保護欲の、(それがあるとしたら)母性本能のほとばしる手つきだった。彼女たちは疲れているようでもどこか誇らしげで、同時に慈愛に満ちているように見えたから、授乳室は聖母マリアたちの国のようだと思ったものだった。

もう思い出せないほど遠い昔のような気がするし、同時につい昨日のような気もする。ふわふわのおまんじゅうみたいにつぶれてしまいそうな新生児を抱いていたまよなか、この先この子に起こるかもしれない事について、モヤモヤしていたから(だっていのちを産んでしまったから。せめて幸せであってほしかったし、それでも迎えるだろう不幸を思うと辛かったから)不安に乗っ取られそうになったけれど、それはそれで幸せだった。

何もしたいと思わなかった。本も他人も家族すらどうでもよかった。ただこの小さな赤ん坊を抱いてずっと見ていたかった。柔らかなほおを撫で、小さな手に指を掴ませて、乳を含ませたまま、そのままどこかへ沈んでしまいたかった。いのちそのものである赤ん坊を抱いたまま、夜に、朝日の中に、夏の中に、溶けていきたかった。

溶けなかったわたしたちは、すっかり熱もさめ、別々の人として暮らしている。あの頃のわたしのような状態を愛と呼んでいいのかはわからない。ただ湧き上がる泉そのものだった。

2021年3月4日木曜日

ずっと水辺で暮らしてる

古いログを読んでいた。昔の方がもう少し無邪気ではしゃいでいて(少々はそれを装って無理をしていたのかもしれないが)、臆せず人と文字の会話をしていたようだ。自身のログしか残っていないので、何の話なのか、そのアカウントの持ち主が今どうしているのか、ぼんやりとしかわからない。

最初のアカウントを作った頃のこと。今も同じアカウントで続けている人もいるだろうし、わたし以上に繰り返しアカウントを変えてどこかにいるかもしれない。もっと狭い範囲のSNSにいるのかもしれない。でもあの時間には確かに「いた」。

わたしは当時一歳くらいの女の子の母親だった。そして眠れない夜を過ごしていたから──彼らもまた同じ時間にたまにタイムラインで「すれ違った」。残ったのはそれだけ。わたしはどんどん内向きになってアカウントを何回か消しては短い期間で別のアカウントを作ったから、その度ごとに追いかける事が出来なくなった。

だんだんネット上の文字だけではなく仕事に出るようになって現実の人びとに向き合わないとならなくなり、夜は眠るようになった。「すれ違った」人と二度と会えないとはあまり思っていなかった。彼らは森の妖精でもないのに、そこにいきさえすれば必ずいると決まったものでもないのに、そうは思わなかった。

そういう「すれ違い」をずっと、ここで(初めた頃からはずいぶん時が流れているのに、同じ場所にとどまることは誰にも出来ないのに、とても無邪気に出来ると思っていた)、している。

2020年12月17日木曜日

スノー・スノー・ドーム

雪の降る夜、すっかり町の灯が落ちると、空の方がずっと明るくなる。空の色はあかるい墨色を混ぜたグレイ、星の出る夜に比べたらずっと不透明で、降る雪片もやはり不透明の白か、灰。断続的に降るのでそれは地上から昇っていくのか、それとも本当に空から降ってくるのか、同じ雪がスクロールしているのか、ずっと眺めていると区別がつかなくなる。

電燈の下はそこだけがぽっかりと明るい為に瓶の底めいていて、降る(或いは昇る)雪が時折吹く風に揺れながら、正しくその中で上下している。わたしの見ている風景は、目にした瞬間ドームに覆われる。小さな海の町が閉じ込められた、珍しくもないスノードームだ。雪片とデフォルメされた風景を閉じこめたスノードームにある、稚拙な作りの電燈の下にただ雪が降るように、わたしの目で切り取られた風景にも雪が降る。

普段なら気にも留めない電燈の光は、雪の夜になるといつもより明るく灯る気がするが、それでも闇の中を照らすにはとても小さいのだ。幽けきあかりは諦めに似たため息を催させる。

あなたの住む街でも、電燈の下に雪が降るでしょうね。それはどのくらい明るく揺らいでいるのでしょう。あなたのいない町の電燈の下で降る雪を見ながら、わたしは時折想像します。既にわたしの居なくなった街に、或いは初めから居なかった街の電燈の下に降る雪の事。

2020年12月10日木曜日

遠い海、輝く記憶

 十九、二十歳かそのあたりの歳の夏に、初めて京丹後の海へ行った。当時通っていた学校の学外施設がその地にあり、その施設に数人で泊まることになったからだった。海に面した場所にあるので、せっかくだから海水浴もしようというのだ。宿泊するメンバーにとってそれはちょっとした旅行のような感じだったようだが、わたしにとってそれは、旅行というより地元に帰ることと(距離的にも精神的にも)そう差はなかった。

 シーズン中だったはずだが、プライベートビーチ化していたのか、それともたまたまだったのか、海岸に人は少なかった。というかほとんどいなかった気がする。人がいないから海水も透明だったように思う。よく晴れていて眩しかった。わたしは太陽に目が眩んで波に足を取られたりもしたが、それも今では面白かった過去の一部になっている。その時溺れずに済んだのは、当時付き合っていた人が助け起こしてくれたからだった。

 海水浴をする、ぜひ海に入らなくては、という情熱はわたしには今もわからないでいる。当時も何故わざわざ海に入りたがるのかわからなかった。水着はいるし着替えもいる、日焼け止めかサンオイルが必要だし、上がったらシャワーを浴びなくてはならない(それでも砂は流しきれない)。海水に浸かって陸に上がると身体がとても怠くなる……上げていけばキリがないくらい、海水浴は「面倒」が先に立つ。

 わたしは小さい頃泳げなかったし、海から上がると身体中がべたべたするし砂でざらつくので、海水浴そのものは好きではなかった。けれど、海水浴は毎年数回行われる家族行事だった。父がそれを決め、母やわたしたち姉弟はそれに従うのみ。行く以外の選択肢は絶対に許されなかった。もしそうしたら父は静かにずっと怒りを燻らせただろうから。だからわたしが中学生になり、家族と距離を置き始める頃になってやっと離れることが出来た行事だった。

 海に入るのは好きではなかったが、海辺にいるのは嫌いではなかった。むしろ好きな方だったし、自分一人で行けるわけではなかったから、特別だった。夏の太陽の下で貝殻を集めたり砂浜を掘ったり蟹を探したし、浮き輪をつけて波間に漂っているのは面白かった記憶がある。積極的に楽しんでいたわけではなかったが、海での楽しみ方は見つけられていたと思う。

 わたしの住むこの町は、海に面した町だ。家から十分も歩けば釣り糸を垂らせる海がある。休日にフェリー乗り場や桟橋に行けば、大抵誰かが釣りをしていたし、今もそれは変わらないだろう。町の中心部に出るためには、海沿いの細い道を通って出るしかなかったから、自家用車の窓から眺める景色の大半は、やはり海だった。

 わたしにとって海は特別なものではなかった。いつでも側にあったし、またあり続けるのが海だ。けれど、記憶の向こうにある遠い海には、二度と行けることはない。車を自由に乗れるようになってから、時折わたしは海へ向かう。そういう時は海にしか行けないし、海に行くしかない時なのだ。スマートフォンの画像フォルダに溜まっていく写真のように、記憶の中に海が増えていく。いつも同じ、でもいつも違う遠い海。

2020年9月9日水曜日

くちびるよ語れ

 バブにほんのりとパウダーをはたいてあげる時、うすいまぶたにアイシャドウを塗る時、小さいくちびるにほんのりとグロスを塗ってあげる時……わたしは懐かしいデジャビュにおそわれる。いつのことかはもう思い出せないが、これは確かにわたしが知っている、かつてやったことがある動作だと気が付く。でも、すぐに現実に引き戻されてしまう。わたしの前で、そっと目をつぶっている小さいバブ。

 あの懐かしさに息が詰まりそうになる感情がなんだったのか、やっと思い出すことができたのは昨日のことだ。わたしはかつて、好きだった男の人にメイクをしたことがあった。出かけるかとなんとなく決めた日、わたしが小さい鏡の前でしていた化粧を、自分もしたいからやってみてほしいと望まれた時のこと。

「いいよ」と答えてわたしは彼の顔に、化粧水と乳液をつけ、下地を薄く伸ばした。ヒゲしか剃ったことがないであろう皮膚がわたしの前に突き出されている。長い間、夕方以降からしか出かけなかったせいだろうか白く、うっすら青みを帯びていて、煙草を吸っていた割にはかなり肌理が細かかったと思う。閉じた目には長い睫毛が揃っていて、薄い影を落としていた。いつだって彼は無防備だったが(でも、いつも閉じていた、無防備なのに少しだけ必ず距離があった。わたしたちはこの距離を肌で知っていたので、踏み込むことはしなかった)、この時ほどそうだった事はないと思う。

 ファンデーションを塗り広げ、パウダーで押さえてから、まぶたにはわたしがいつも使っていたアイシャドウを薄くはく。色は思い出せない。彼は目が大きくて二重だったから、わざわざアイラインを引くこともないだろうと思って、一段濃い色のアイシャドウだけを重ねた。ビューラーを使うか迷ったのは覚えているが、実際使ったかはもう思い出すことができない。でも多分使わなかったと思う。彼はそのままでもくるんとカールされたような、長い睫毛だったから。黒のマスカラをダマにならないように塗る時は、確か手が震えてしまったのではなかったか、なぜなら睫毛もとても美しかったから。

 化粧をされている間の彼は、本当に美しかった。目を閉じて、わたしが本当は四苦八苦しながら化粧をしているのに、完全にわたしに預けられていた。それまでにこんな風に無遠慮(だって顔に触れるのよ)に触ったことがあっただろうか?多分、なかった。顔に触れる以上のことをしておきながら、その頬を軽く抱くことはなかった。ほんの短い時間だったとはいえ、何もかもが無防備にそこにあった。そのまぶた、睫毛、濃い眉、つうっとした鼻筋、ほんの少しだけ開いていたくちびる、そこから覗く粒の大きい歯。どれも全てが完璧に彼だった。わたしが当時もっとロマンティストで、もっと他人に対して大胆であったなら、彼の顔のその全てに口づけの雨を降らせただろう!

 小心者のわたしは、とうとう彼への化粧を終えてしまった。「できた」と言うとゆっくりと目を開け、小さい鏡に映る自分の顔を角度を変えながら何度も覗き込んでいた。彼がその時何を言ったのかは、わたしの記憶にはもうない。一度で飽きたのか、わたしのメイクがそれほど劇的に顔を変えなかった事につまらなさを覚えたのか、それはもう永遠にわからない。わたしに残ったのは、美しい顔にそっと手を添えながら初めて他人にしたメイクの感触。それから強烈なデジャビュ。

2020年8月9日日曜日

つめあと

‪    七月の終わり、この町の海軍工廠を狙った空襲があったそうだ。東京からやって来た祖父はそこで大工をしていたから、その日も働きに行っただろう。その空襲で少なくない人数が亡くなったと知ったのは、本当にここ十年の事だ。けれど祖父はそれにひとつも触れず語る事なく、黙っていた。‬黙っている人から何かを聞き出すのは──とても難しい事だと祖父の表情を見てわたしは知ったのだと思う。


‪ 子供の頃、祖父とはよく散歩をした。町内をぐるっとまわることもあったが、多かったのは遊具のほぼない、祖父母の家からすぐにある長い土手を登った先にある公園だった。建てられた慰霊の碑も二つほどあったと思う。そこを回って歩いたのだが、何故祖父が寄るのかわからなかった。祖父は黙っていたし、わたしも黙って歩き続けた。‬彼にとってあまり喋りたがらない孫はちょうどよかったのかもしれない。わたしはあれこれ聞かず、ただ黙ってついていく女の子だった。祖父母も黙っていたし、わたしもよく喋る子供ではなかった。それに祖父母は戦時中どんな暮らしだったかをほとんど、まったく口にしなかった。‬

 ‪一度だけ宿題のために、戦争のことを聞いたように思うが、濁されたのかはぐらかされたのか、祖父も祖母も黙ってしまい、これといった出来事を聞けなかったから、二度はしなかった。出来そうになかった。代わりに昔の硬貨や紙幣を貸してもらい宿題の代わりにした。言わないという事はそういう事なのだ。‬

 ‪母は完全に戦後生まれ、父は戦中の貧しい北の農村生まれで、わたしからでさえ戦争は遠くなってしまった。語る者がいなくなれば、でもなかったことになるか?それはない。語れなかった・語らなかった者の戦争がどんなものだったかは想像するより他にはないから、わたしはいつまでも想像してみるしかない。‬

 ‪でも、想像することをやめないでいたいと思う。そうする事くらいしか今のわたしにはできることが思いつかないが……それが何に繋がるか、何が出来るかは今もまだわからないけれど。

 

2020年8月7日金曜日

昏い記憶

 意図的にその記憶を消しているのかもしれない、なくしたものや手放したものが多すぎて、何をどういうつもりで「消した」のか、すっかり思い出せなくなった。手帳……たくさん書き込みをしていた、日記代わりの手帳が数冊あったはずだが、その姿をとんと見ない。

 夜を飛んだ飛行機のチケット(多分半券だろう、使ったのだから)を貼り付けていた手帳があったはずだった。ハードカバーで細身の、日記を書くといっても数行書けるかどうかの……青い太めのボールペンで、のたうった文字を書いていたはずだった。

 そうだ、確かその青いボールペンは、輸入雑貨を扱う店で買ったものではなかったか。毎年手帳を買いながら(予定がないので当たり前だが)なかなか書ききることのなかった手帳を一冊使い切った二度目の手帳ではなかったか。

 「あの日」以降にその手帳を、何度かめくっていたはずなのに、何を書いたのか、何を思っていたのか、全て吸い出されたように、記憶に残っていない。あるのは、確かに書いたという後付けの記憶ばかり……。

 東京に住みながら孤独に蝕まれてずっと引きこもっていた時も、モレスキンのノートにほぼ毎日何かを書いていた。切り抜きを貼って、持っているスタンプを押して、どうしてこの部屋からほとんど出られないのかと思いながら、こまこました字を綴っていたはずだ。二冊くらいはあったはずだ。

 でも、どれも今はもう見当たらない。捨てたことを無かったことにしようとして記憶から消したのだろうか?自分がしたはずの行動なのに、まるきり他人事のようだ。「消した」記憶の蓋が開くことがあるとすれば、それはいつだろう。その時わたしは何を思うだろう。

滅びの王国

『すえっこOちゃん』という本を借りた。Oちゃんのほんとうの名前はオフェリアだけど、いつもOちゃんと呼ばれている。スウェーデンのある町に住んでいる七人きょうだいの末っ子で今は五歳。年上のきょうだいがいるのでおませさんだそう。奔放ではちゃめちゃだけれど、OちゃんにはOちゃんの理屈がし...