2010年6月13日日曜日

淡雪のゼリー



レシピの切り貼りがしてあるノートが見つかったので、土曜日にゼリーを作った。随分ふるいノートの切り貼りなので、どの雑誌からか、どなたのレシピかまでが抜けている。(オリジナルではないことはお断りしておきます……。何かあればメールなどでご連絡ください。)
白桃の缶詰があれば出来るというごくかんたんなものなので、記録をかねてブログに記しておこうと思う。




材料
  • 白桃の缶詰(425g) ……1缶
  • 缶詰のシロップ+水 ……300cc
  • 砂糖 ………………………大さじ2
  • レモン汁 …………………大さじ1
  • ゼラチン …………………5g

  1. 水大さじ2にゼラチンを入れてふやかし、電子レンジ(500w)で30秒加熱して溶かす
  2. 300ccになるように桃の缶詰のシロップに水をくわえて砂糖とレモン汁を加えて混ぜる(A)
  3. 桃の汁気を切り、グラスにひとつずつ入れる(細かく切って入れても)
  4. (A)の3/4量をグラスに等分に分けて冷蔵庫で冷やして固める
  5. (A)の残り1/3両を金属製のボウルに入れ、氷をあてながら泡立て器で泡立てる
  6. ゆるく泡立ったゼリー液を冷蔵庫で固めたゼリーに流し入れ、さらに冷蔵庫で冷やし固める


おしまい。
初めて泡立てたゼリー液に口をつけると子どもは嫌がってしまったけれど、下のふるふるのゼリーの層にスプンが到達すると、見慣れたゼリーだったらしくすっかり食べてしまった。
見ていて気持ちのよいくらいの食欲であった。

追記:
缶詰から出してすぐだと金臭さがあるので、缶から空けたシロップと桃は半日ほど器にうつして冷蔵庫で冷やしておいたり、一度シロップごと鍋で煮立ててから冷ます方が、金臭さは抜けるかもしれない。

2010年6月11日金曜日

鶏頭の赤、橙、黄色

  子どもと散歩しているのは、かつて新興住宅地であり今でもその名残のある近所が多い。昔、私がこの子くらいの頃、この辺りがやっと開けてきて、いくつも竹の子かきのこのように家が建った場所だ。ここから小学校へ徒歩三十分かけて峠を超えて通い、住宅地のすぐ側に建つ中学校へ行くようになり、やがて町中の高校へ通った。町へ出る為には車が無くては生活出来ない場所だ。ここから西にある方の駅へも車で二十分弱、東の方なら三十分弱かかる。そんな不便な所に住んでいる。そうは言ってもちょこちょこと新しい家は建つ。そこに住む人がいる限り家が建ち車が並び、人の声が流れ生活が漂う。立派で大きな家が建ち、幸せそうな洗濯物が揺れている。その辺りを散歩するのだ。

あるお宅の家の前に、ちょこんと鉢植えの鶏頭があった。鶏頭には幾つか種類があるらしく、見かけたのは羽毛ケイトウと言うらしい。尖ったあかい鶏冠は懐かしい暴走族を思わせるのだが、ふわふわとしたそれは是非触りたくなる。けれども子どもの手前触りはしない。「よそのおうちだからね、ここまで」と言って、いつもかのじょを止めているのだ。

私は、一度、鶏頭を貰ったことがある。
鶏頭のあかく燃える花を見て、その日のことを鮮やかに思い出した。あれは私が退院した日、仕事帰りのJと落ち合ったのかわざわざ迎えにきてくれたのか、二人でバスに乗った。行き先はホームセンターで、すっかり日が落ちた京都の外れのホームセンターはまだ煌煌と電気がついていたのだが、とにかくよそよそしく佇まいから既に「買わないのなら帰っておくれやす」という雰囲気だった。

退院したてで体力が激減していて、なんだか半分はどうでも良かったけれど、それでもその残り半分はやっと自由になれた開放感と、久しぶりに友人に会えた楽しさで昂ってはいた。おもむろに彼は「この中からどれか選んで」と鶏頭を指をさす。これかな、とすでに花の多いものを選ぶとてきぱきと苗を手に取り、土を選び、鉢もぱっぱと決めた。緑色をした買い物かごは急に重さを増したようだが、すたすたとレジへ向かう。

再びバスに乗って私が当時住んでいた部屋へ戻ると、新聞紙を広げてそこに先ほど買ってくれた鶏頭を、ビニールの苗パックから出して、鉢に移し替えてくれた。入院していたことにあまり触れずに「結構楽しいですよ」と。

差し出された鉢には小さいけれど鮮やかな鶏頭が並んでいて、つつくとふるっと揺れる。鉢は窓際の、ぎりぎり陽の入らない場所(私は当時洞窟のような薄暗い部屋に住んでいたから、そこしか明るい場所は無かった)に置いて毎朝水をやるようになった。

あの日から随分経って、私は地元に戻ってきたし彼も京都から東京、そして地元にいるという。距離は遠く離れてしまったし、その日のこともだんだんおぼろげになってはいるけれど。私には一人の子どもがいて、毎日を時間に追われるように過ごしているけれど。有り余る時間に取り残されていた自分を、懐かしさと情けなさと恥ずかしさが入り交じって思い出す。あの鶏頭は、やっぱり本物の日光が少な過ぎたためにどんどん色褪せて、やがて枯れてしまったけれど、それでもしばらくはずっとろうそくが灯っているように、明るかった。


記憶という庭に、私はひとつの鶏頭の鉢を持っている。その鉢で鶏頭は赤に、橙に、色とりどりに咲き誇る。いつまでも私が覚えている限り、風にその花を揺らされて咲き続ける。

2010年6月2日水曜日

5月の読書メーターまとめ

 2010年5月の読書メーター
読んだ本の数:12冊
読んだページ数:4097ページ

■思春期病棟の少女たち
いつかは読むだろうと思っていた。もう少女ではなくなったけれど。ぷちぷち途切れる文章は茹で過ぎたスパゲッティのよう。自分が立っている世界との折り合いがつけられなかった、どこにでもいるありふれた少女たちの精神病棟を、作家になった著者が中年になって振り返っている。退院する少女もいるし自ら死の世界へ飛び込む少女も、もっと遠くの心の世界へ行ってしまう少女もそこではありふれた「少女」でいられたのだろう。世界とは離された場所にいたとしても、著者と著者の友人達がいたそこは、眩しい青春の光に照らされたものだったと思いたい。
読了日:05月31日 著者:スザンナ ケイセン
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/6295205

■グアヴァ園は大騒ぎ (新潮クレスト・ブックス)
コミカルな中にかすかな哀しみの漂う、けれどそれは人生或いは世界が回っていく中ではちっとも大した事ではない、と思わせてくれる、ふわふわしたつかみ所のない夢のような一冊だった。主人公サンパトの母クルフィの料理と食事について取り憑かれている様の記述がたまらなく面白い。私はインドについてはこれまで断片的に繋いできたイメージの中の「インド」しか知らないが、土ぼこりの中に浮かぶ色彩を想像するのは楽しかった。自分を取り巻く世界から逃亡したくなったらまた読みたい。
読了日:05月29日 著者:キラン デサイ
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/6266523

■小さきものたちの神
「歴史のにおい。風にのってくる古いバラのような。」所々で思い出すように繰り返されるこの言葉は、語り手であるラヘルとその双子の兄エスタパンの歴史そのもの、過去の匂いだろう。思い出す度に鼻先をかすめる過去の匂い。懐かしさと同時に二度と戻らない過去の思い出。忘れようと努めても決して消えない過去の。子どもだったラヘルの視点から描かれるインドは自然の色彩に、歴史に、綿々と続いてきたカースト制度に、ラヘル自身の無限の想像力に溢れている。詩のような文章の流れは川のようだ。
読了日:05月26日 著者:アルンダティ ロイ
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/6229151

■喪失の響き (ハヤカワepiブック・プラネット)
読了日:05月25日 著者:キラン・デサイ
http://book.akahoshitakuya.com/b/4152089059

■ママ・グランデの葬儀 (集英社文庫 40-A)
読了日:05月22日 著者:ガルシア・マルケス
http://book.akahoshitakuya.com/b/4087600793

■停電の夜に (新潮文庫)
読了日:05月15日 著者:ジュンパ ラヒリ
http://book.akahoshitakuya.com/b/4102142118

■時は夜 (現代のロシア文学)
気持ちが暗澹とする。もう搾りきった生クリームの絞り袋を、しつこくのしてどうにか一粒の白い淡雪を落とそうとするような、必死だけれど後から空しさばかりが襲ってくるような、気持ちの遣りどころがどこにもない。書き手である「私」の娘が送りつけた短い叫び声がずっと続く。貧しいということが蝕んでいくものは愛、健康、未来、希望、何もかもだ。物語の全背景はぼうっと映るだけだが、所々語り手の「私」がズーム・インして叫ぶ。そしてその叫びにスポットライトが当たる。誰も彼もの自分勝手さとそれに苛立つ「私」が殴りつけてくるような物語
読了日:05月13日 著者:ペトルシェフスカヤ
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/6073015

■ミーナの行進 (中公文庫)
小川洋子はいつでも何かを、登場人物たちに失わせる。例えばそれはもののなまえや人という、些細だけれどかけがえのない、途方もない痛みと喪失感を伴うものばかり。それでいて甘い閉塞感が漂うのが「小川洋子節」だと思っていた。特に大きなお屋敷全体がその閉塞さを醸し出す場所になるのか、とも。けれど、病弱でお屋敷に住んでいる従妹・ミーナこそ死の途方も無さをはっきりと身体に纏わせているとはいえ、とても清々した少女だった。それは関西弁の砕けた会話がそう思わせるのかもしれないが、これまでのように喪失の残虐さが無く、むしろ砂のようにさらさらと美しく、「少女」を失わせていったと思う。
読了日:05月11日 著者:小川 洋子
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/6060055

■ジャスミン (文春文庫)
読了日:05月11日 著者:辻原 登
http://book.akahoshitakuya.com/b/4167316102

■海辺でロング・ディスタンス (角川文庫)
川島さんの本はだいたいどれも読んでいるのだが、今回は他のどれよりも流されている感が強い。セックスの後の汗やジョグの後の汗の匂いが薄い気がする。それと登場人物が散逸していて(ネグリジェババアについてもう少しあるのかと思った)まとまりが少なく、読みづらかったのが残念。
読了日:05月06日 著者:川島 誠
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/5994822
■石のハート 新潮クレストブックス
読了日:05月04日 著者:レナーテ・ドレスタイン
http://book.akahoshitakuya.com/b/4105900307

■カッコーの巣の上で
読了日:05月02日 著者:ケン キージー
http://book.akahoshitakuya.com/b/4572008531


▼読書メーター
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2010年5月26日水曜日

Dance In The Turf 競馬場のはなし

東京優駿(とうきょうゆうしゅん)とは日本中央競馬会(JRA)が東京競馬場の芝2400mで施行する競馬の重賞競走である。

一般的にはレース名の副称である日本ダービーの名で広く知られており、現在の日本の競馬においてその代名詞とも言える競走である。「競馬の祭典」という呼称もマスコミが広く用いている。

1932 年(昭和7年)にイギリスのクラシック競走であるダービーステークスを範して創設された、日本で最も古くから同一条件で開催されている競走の一つで、毎年5月末頃に開催され、春の皐月賞、秋の菊花賞とともに三冠競走を構成する。

出走資格は3歳の牡馬・牝馬の競走馬だけに与えられ、去勢された馬は出走権がない。

日本の3歳(旧4歳)馬の代表決定戦であり、日本の全てのホースマンが憧れる最高の舞台である。騎手にとっては本競走を制すと晴れてダービージョッキーの仲間入りを果たすことができる。

1973 年(昭和48年)までは日本国内の最高賞金額で、名実ともに日本最大最高の競走だった。[1]現在は、賞金額においては国際競走であるジャパンカップ、全ての馬に出走権のある有馬記念に次ぐ3番目となっている。格付においては、2010年から国際統一規格で最高格となるGIとなる予定である。

wikipedia 東京優駿

 ここ数日何だか落ち着かない、と感じていたのは、ダービー(東京優駿)が近づいてきたからで、何故そのダービーが近づいたごとき(ごとき、というのは語弊がある、何故ならダービーは多くの競馬ファンには心躍る競馬の祭典なのである。G1。グレードワン。毎年一万頭近い仔馬が生まれ、その中で中央競馬で活躍出来る馬はごく限られているのだ。活躍出来る、というのは賞金を稼いでこられる、という意味でもあるし、アイドルのように競馬のイメージホースになる馬になれる、ということでもある。)で心がざわついて仕方がないのか、というと、一人で初めて競馬場に行ったのがダービーだったからだ。

 当時京都市内に住んでいたので東京まで行けるほどの財力も瞬発力もなく、だから私は淀(京都競馬場/京阪電車淀駅は土日だけ人の乗降が驚くほど多くなる不思議な駅だ)のターフビジョンで観たのだけれども、どうしてか行こうという気になったのはその年の五月にKが亡くなったからで、ずっと「競馬場に行ってレース見よう!」と約束めいたことをしていたからだった。

 Kの西日本にあるご実家まで行ってお線香をあげてからは毎日が、どろどろと寝ているのか起きているのかよくわからない、ほとんど酩酊状態だった私をそこまで何とか引き揚げたのは、当時は競馬場だった。

 私とKといつも待ち合わせてごく僅かに競馬を楽しむのはいつも、祇園のWINSだった。
祇園のWINSという場所は少し変わった場所にある。投票券、という正式名称のつく馬券は、大抵百円から買える。どの組み合わせも百円から買っていいのだ。初めて買う人は大抵単勝、複勝という好きな馬一頭ずつ、なおかつ最低金額百円から買える馬券を買ったりする。ターフを駆ける天馬ディープインパクトが走っていた頃、沢山の人がディープインパクトと印字された馬券を買っただろう、あれと同じ買い方。
 でも祇園のWINSでは“しょば”代なのか、連勝単式、連勝複式の投票券を買うときは一組み合わせ千円から、といういっそ清々しいくらいの掛け金を要求される。当然見返りは大きいが、投資分も大きい。人が絶えるのは、全ての競馬番組が終わる夕方五時頃だった。それまではざわざわと人々が入れ替わり立ち替わる。

 それは花見小路をちょいと東に行ったところで、おおよそギャンブルにはそぐわない場所に建っている。すぐ近くには寺もあるような、ひっそりとした静かな場所なのだ。その花見小路の曲がり角には土日におじさんたちがたむろしている小さい喫茶店がある。その喫茶店がひとつの目印でもあった。石畳で町屋づくりの建物が並ぶ小径だ。置屋もあるしとても入れそうにない敷居の高い小料理屋もある。たまにその小径を歩く外国人観光客がいる。その為なのか小さな甘味屋もある。

 そこは、ある種異界であり職業のるつぼめいた場所だった。ふらりと休憩時間にやってきた板前さんが、あの白いうわっぱりを着たままで煙草をくわえながら馬券を買っていたり、夜の街へこれから消えていくような若くて少し派手なお姉さんを連れた羽振りの良さそうなおじさんもいたし、でも一番多かったのはごく普通のおじさんばかり。たまに学生らしい若い人も連れ立っている。
買うレースもなくお金も使いたくなくてたまにぽつんと立っていると「次はな、これ。こいつが来るで。賭けてみ」と笑いながらおじさんに言われてその通りに賭けてみると本当に取れた馬券もあった。払い戻しが終わった頃にふらふら立っていると、また同じおじさんが札束をごそっとジャケットの胸ポケットに押し込んで「どや、来てたやろ」と笑っていた事も。

 もちろん毎週なんてとてもじゃないが行けなかったので大きめのレースのある時くらいだけだったけれど、そこはまるで京都であって京都ではない、一種の別世界だった。私はそこでちょくちょく大きなレースを見た。菊花賞、秋華賞、エリザベス女王杯、秋の天皇賞、ジャパンカップ、ジャパンカップダート、有馬記念、ジュベナイルフィリーズ、朝日杯。そしていくつもの小さな条件レース。帰る道すがらはいつも、「いつか競馬場に行こう」と二人の話が落ち着く。
 Kは「こんなん(WINS)とは全然ちゃうで」と言う。彼は地方競馬を見た事もあったらしい。こんな白っぽい、建物の中だけの狭い場所ではないのだと力説する。私は競馬場を想像してみた。けれどもどうにも上手く想像出来ない。JRAのサイトを見ても彼の話している「競馬場」とは上手く線で繋がらないのだ。その内に競馬場は私の憧れの場所になった。大抵の行ったことのない場所は、私にとってはいつも憧れの場所になるのだ。

 私には「いつか」で充分だった。果たされない約束がある方が未来が見えるようで、楽しかった。当然もうその恋は行き止りに近づいてはいたのだけれどーーそれでも充分だった。私は「いつか」を待っていた。待ってさえいれば必ず訪れてくれると、まるで王子様がお姫様を迎えに来るーーそして必ずハッピーエンドで閉じられるーー物語を読むように。自分から迎えに行けば良かったのに、「いつか」という響きに酔って甘えてしまった。
 Kが本当の本当にいなくなって、何をしても砂を掴んで投げているような気持ちでいた時に、ふと思い出したのがダービーだった。そうか、ダービーを観に行こうじゃないか。「いつか」を今にすればいいじゃないか、今更だけれど、Kはいないけれど、それでもやっぱり迎えに行こうじゃないか。
 身支度をして久しぶりにまともに外出したら、眩しかった。道路も、車も、信号機も、人の流れも。

 あの日ーー部屋に閉じこもろうと決めた日ーーはまだ春の名残があったのに季節はもう夏が羽化するのを待つばかりだ。蛹の中に閉じ込められるようなねばねばと纏わりつく湿度も、私にとっては懐かしくて新しい。ずっと部屋で泣いて寝て酒を飲んでばかりいた身体には少々辛かったけれど、その日のメインレースであるダービーを競馬場で観ようと淀へ向かった。Kが「こんなんとは全然ちゃうで」と顔を顰めながら話していた競馬場に、その思い出を持っていくのだ。その為には一人で行かなければならないし他言も無用だ。

 ダービーは府中の東京競馬場で行われるので、淀で観る、と言ってもターフビジョンでレースの様を観るだけだ。とは言っても年に数度ある祭典というかファンにとっては季節を知る儀式めいたものなので、人の出はまずまず多い。揉まれるほどではないけれどのんびりしていたら人とぶつかるくらいの人出ではあった。
 レースが始まる前に馬券を少し買って観客席に腰を下ろす。誰もが皆浮き足立っているのがわかる。時折苛立たしげに歩く人もいるが、大抵の人は楽しそうだった。いよいよレースが始まるとなると、ターフビジョンなのにファンファーレに合わせて手拍子も始まるしわあわあとお祭り騒ぎである。がっしゃんというゲートの開く音がして競走馬たちが飛び出す。それを観る人達はみな立ち上がっている(ターフビジョンで流されているだけの映像なのに!)。

 一頭の馬の鼻面がゴール板を横切ったところでレースは終わる。観客たちは景色が揺れるような歓声で皆思い思いに叫ぶ。私が主人公になる物語ならとりあえず主人公である私は涙を流すのだろうが、物語ではないし主人公でもないので涙は全く出なかった。それでよかった。あの場で泣けなくて本当によかった。

 久しぶりに外には出られたのだった。どういう切っ掛けであれ、Kのいない外に。

 これからはどこに行くにも一人で外に出る、それは恐ろしい事ではあった。けれどもよく考えれば私はいつも一人だった。誰といてさえ一人、けれど望んだ事だった。二人でいても、私(たち)は一人一人で歩いていたのだ。それを淋しく思った事はなかったのだから、何も哀しい事など、ない。

 日常は続く。私が生きている間はどんなに土嚢を積んだとしてもその流れには逆らう事も出来ないし、水の流れは止まることはない。
 Kはいない、私はいる。それだけ、ただそれだけ。
 お弔いなんかじゃ決してない。ただ行きたかっただけ。

 珍しくどこにもーー本屋にすらも!ーー寄り道をしないで帰宅して、ベッドに倒れ込んだ頃に緩やかに視界が滲んだが、久しぶりの化粧の所為だと立ち上がり、シャワーをすっかり浴びてから、眠った。何の夢も見ずに真っ暗な眠りの中に落ちた。くしゃくしゃに丸めて放り込んだ馬券の事も、わあわあと我を忘れるほどに叫んでいた人々の事も、盛り上がった筋肉を優雅に使って走る馬たちの事も思い出さずにただ、眠った。
 あれから何度かダービーを見た。同じように淀の競馬場で、ターフビジョンで。季節を知る為にも見たし純粋に好きな馬の応援の為にもだ。そして同じように眠った。違うのは「ねえ、今年のダービーはさ」と話しかける相手がKではない事だけだ。
 今年もまたダービーの季節が来た。けれども私は何の思いも持たずにそれを見る。それでいい、それくらいでちょうどいい。

2010年5月20日木曜日

誕生しない日のおくりもの

 誕生日じゃない日におくりものを貰うのはとても嬉しい。貰う立場じゃなくて贈る立場なのだけれど。何故なら誕生日は一日しかないからだ。ハンプティー・ダンプティーがアリスに紙に書かせた上に計算させたことによると。 


いろいろーーあの人(たち)に会ったこととか、あの人(たち)と別れたこととか、自分を蔑んだこととか、卑しめたこととか、そういうことーー後悔することもあるけれど、それでもやっぱり、今日この日に私がちゃんと生きていたということは、それなりによかったのだと思う。取り立てて何もないいちにちももうすぐ終わる。誕生しない日のおくりものは大体いつも目の前に溢れている。


それを腕一杯に抱えていればいいのだよ。溢れんばかりのミモザの花束を抱きしめるように。なあ、おい?

2010年5月15日土曜日

夜を越える飛行機(4)

     

夜を越える飛行機(1)
夜を越える飛行機(2)
夜を越える飛行機(3)

次の日に何をするか、飛行機に飛び乗ったときは全く考えていなかった。このまま帰ってしまってもいいとも思っていたけれど、それではなんだかつまらない気がしていたので、チェックアウトしてから市内へ繰り出した。路面電車が通っていて、街はクリスマスイブの興奮を残しながら少しずつ覚め始めたようで、けれども年末だということで人出は多い。揉まれながらその日に泊まる宿を確保して、車を借りた。海の方へ行こうと決めたからだ。

枕崎の郵便局で少しお金をおろしたのを覚えている。とても良く晴れていて暖かい日で、道ばたに猫がいたからだ。でっぷりと太ったグレイッシュな猫で、ふてぶてしい目つきをしていたけれど人を怯えない猫。今思えばあの猫は証人のようなものだ。私が確かに枕崎にいたという。そしてその日は彼もまた枕崎にいたのだという。

海は青くて広く、砂浜は白い。沢山の漂着物はほとんどがハングルで読めもしない。でもそれらを飽きずに彼は丹念に検分していた。持って帰るんだ、と言って気に入ったものを丁寧に海水で濯いで、きっちり水を切って。とても嬉しそうで、だからその姿に私は水を差せなかった。彼が持って帰るものは私の領分ではないのだ。彼が今楽しんでいるのも、同じように私の領分ではない。逆に言えば私がぼうっと海を眺めているのだって、私の領分なのだ。きちんとお互いの間には線があるようで、それを淋しく思ったことは特になかったのだから。

小一時間も遊べば段々身体に疲労が溜まる。そうでなくても私たちは疲れやすかった。とにかく体力がない。二人とも引きこもっているのと変わらないので、筋力も随分落ちていたのだと思う。切り上げて車に戻る頃は足取りもそれほど軽くはない。ぽんと彼が後部座席に放り込んだポリ袋には、ハングルの並んだコーラのペットボトルが入っていた。私はそのペットボトルに嫉妬した。何故かはもうわからないけれど。

その後の記憶は正直なところ曖昧で、確か鹿児島市内に戻ってから維新志士の記念館のような所へ行ったし、ビジネスホテルに入る前に買い込んだ、10%オフの甘ったるいクリスマスケーキも二人でせっせと食べたはずなのに、うっすらとしかもう思い出せない。確かに砂糖で出来たサンタクロースを押しつけ合ったのにーーそしてそれはざりざりしていて、ちっともおいしくなかったのにーーどんなごはんを食べたか、どんな道を通って鹿児島市内に戻ってきたのか、帰りの飛行機のことも、関空特急のことも。粉々になったビスケットのように、再び一つの形にはならないまま。無意識に封印しているのか本当に風化させてしまったのかはわからないが、消えているのだ。

それでもあれは、私の大冒険だった。一人では決して乗らない飛行機に乗って、夜を越えた。それまで睨み付けるように過ごしていた夜を、軽々と飛び越えたのだ。

次の年の四月に私が退院してから、彼とはずっと連絡が取れなかった。嫌な考えが胸の内に浮かび上がり、それを何度も押し込める。けれどもやはり、浮かび上がってくる。沈ませてもぼかり。目を覆ってもぼかり。そうしている内に、五月。彼は亡くなった。やっぱり一人で、行ってしまっていた。
軽々とはわからないが、本当に飛び越えてしまったのは、彼の方だった。

彼の実家に何とか連絡を取って新幹線に飛び乗ったとき、とてもおかしかった。その不在が。「私、今からあなたにお線香をあげに行くんですって」もし彼がいたらふん、ともへん、ともつかない返事をしただろう。退屈そうに、新幹線のシートに深々と座って。そしてしばらくしたら「ヤニ吸ってこよーっと。一緒に行く?」と怠そうに言っただろう。でも彼は現れない。いくら待っても、新幹線の中にも駅にもタクシー乗り場にもバス停にも。

彼のお姉さんが、「鹿児島に行ったときのことを、ずっと楽しげに話していてね。チケットも大事にとってあって、財布に入れていたの」と話してくれたとき、私はやっと泣いた。後にも先にもあんなに泣いたことはなかったくらい、泣いた。目玉がこぼれ落ちてしまわないのが不思議だった。いないのならいないと言えばいいのに、それすら言ってくれない。腹を立て、腹を立てる自分が醜くて、そしてまたまざまざと不在と対面して、泣き続けるしか出来なかったのだ。泣き疲れて眠って、泣きながら起きる日々を過ごし、けれどそれも半月ほどする頃には涙がもう出なかった。それでも顔を枕に押しつけて呻き続けた。季節だけが私の周りを過ぎていく。やけのやんぱちで過ごす日も、秋が来る頃には幾分収まって、また私は一人で過ごす冬を迎えた。二度と越えられない夜を私は何度越えようと思っただろう。私には越えられなかった。越えられないことがみっともなくてやりきれなくて、それでも結局越えられないままここにいる。


そしてまた今年も五月が巡ってきた。彼が飛び越えた五月。私が越えられなかった五月。緑がるいるいと盛んに色づいている五月。命そのものが萌える五月。

夜を越える飛行機(3)

  
夜を越える飛行機(1)
夜を越える飛行機(2)


バスに揺られている内に、だんだん街灯のある間隔が開き始め、コンビニエンスストアの白い灯りも減っていく。闇へ向かって走るバスに乗った私と、他に乗っているのは彼と、バスを悠々と操る運転手以外いない。この先にあるものはこの世ではないのかもしれない。いや、もう既にこの世ではないのだ……。自分の顔を鏡でぼんやりと眺めていると次第に自分の顔ではないのではないか?と思うような奇妙な浮遊感。それはまったく治まらずむしろバスが進むごとに加速した。自分が、座席からも浮き始めているような、そして浮いている自分を後ろから見つめているような、私が私から剥がれていくような。

別の座席に座っている彼はただじっと座っていて、運転手もただ運転席に着席したままだ。はやくこの夢から覚めたいと何度か思った。窓の隙間からすっと入ってくるよくわからない匂いが不安さを掻きたてる。なんだ、この匂いは……と思い窓の外を目をこらしてみる。周りに住宅は殆ど無くなり、ぽつんぽつんと大きめの建物が見えるばかりだ。

なんだ、黄泉だ。ヨモツヒラサカなんだ。もう心配はないんじゃないか。
黄泉なら黄泉でいいじゃないか。乗り合いバスで行けるなんて、なんという気楽さ!

ふうと一息ついてシートに背中をもたげる。ふかりとした臙脂のシートは柔らかく存外心地がいい。もうこのままここで寝てしまおうか、と考え始めたところでバスは停まった。自分の間の悪さは今に始まった事ではないが、こういう妙な間の悪さについては、私は多分ピカイチだ。ここが終点らしい。白い大きな建物は総合病院めいていて、夜だと存在感が増している。

二人ともが降りたのを確認してからまた、バスは発車した。空っぽのバスはまた戻るのだ、黄泉から。

れっきとしたホテルに宿泊をお願いすると、預かり金を要求されはしたが泊めてくれるという。地下に硫黄の温泉浴場があり、まだ開いているし夕食は今からでも摂れるとサービスマンが伝えてくれたので、軽いものを腹に収めてから、一旦部屋に入って風呂の用意をした。

硫黄の匂いがつんと鼻の奥をつつく。イザナギがイザナミを追いかけた場所にも、こんな匂いがたちこめていたのだろうか?次第に硫黄の匂いに鼻も慣れ、湯に身体を沈ませる頃にはうっとりとする匂いでもあった。私以外湯を使っている人はいない。壁一つ越えた向こうでは彼がいただろうが、全くの一人で深く深く息を吸った。硫黄の匂いが内臓にまで浸みていけるように。
 
浴場の側には温泉に付きものである遊技場があり、アイスクリームの自動販売機もある。もちろん卓球台もあった。風呂から上がってからそれで一通り遊び、アイスクリームを食べた。ハーゲンダッツで割増料金だったけれど、割増分は美味しかった。黄泉ではなかった。黄泉だったらアイスクリームはあってもハーゲンダッツまでは置いていないはずだから。

大体どれにも飽き始めた頃がちょうど同じだったので、部屋に戻って軽くお酒を飲んでから清潔なベッドで眠ることにした。仲の良い双子のように、二人ともが律儀にぷちぷちと銀色のシートから数粒の薬を出して、ペットボトルの水で流し込んで。別々のベッドできちんと並んで。眠る前に見た彼の瞳にはうっすらと後悔が滲んでいるようだった。けれども彼からは私の瞳に浮かんだ後悔を見ただろう。でも私たちは何も言わなかった。わ かっていたから口で言う必要はなかった。

滅びの王国

『すえっこOちゃん』という本を借りた。Oちゃんのほんとうの名前はオフェリアだけど、いつもOちゃんと呼ばれている。スウェーデンのある町に住んでいる七人きょうだいの末っ子で今は五歳。年上のきょうだいがいるのでおませさんだそう。奔放ではちゃめちゃだけれど、OちゃんにはOちゃんの理屈がし...